10月中旬から11上旬、航空自衛隊三沢基地とその周辺で日英戦闘機共同訓練が行われた。
日英戦闘機共同訓練のお知らせ
英国大使館 2016年9月16日
日英同盟と太平洋? 関係がわからない人が多いのではないだろうか?
日本がミクロネシアを領有した、太平洋に軍事的大きな一歩を踏み出したのは第一次世界大戦。
そして、ヨーロッパの、日本に関係のない戦争に参加する事になったのは、この日英同盟のためである。
現在好評発売中の月刊正論12月号にも書いたが、『第一次世界大戦と日本海軍ー外交と軍事との連接』平間洋一著に詳しい。この事を知らずに太平洋を語れない!
1914 - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa
日清戦争以来、日本を仮想敵国とし、人種差別者のリーダー豪州は日本に太平洋だけには出て来て欲しくなかったのだ!でもチャーチル海軍大臣が、「豪州海軍、使えん、アカン。これじゃドイツ領の島を占領できないどころか、その周辺の英領までやられてしまう。」と日本海軍に支援を要請したのである。
ここで動いたのが日本帝国海軍の秋山真之と山屋他人。
ミクロネシアだけでなく、豪州、ニュージーランド、太平洋島嶼をくまなく守った。
結果、ベルサイユ会議で日本が南洋領を得る事になったのだが、怒ったのは米国、ウィルソン。
島を、とりわけヤップ島を渡す訳には行かなかった。1921年、ワシントン会議でヤップ条約を締結すると共に、日英同盟を終了させたのである。
小さな島がどうして大事だったのか?
現在の技術であれば、飛行機も船も、通信ケーブルを太平洋を軽々またげるが、当時は何度も補給する必要があった。ヤップは海底ケーブルや無線の中継基地として、ドイツ、米国とアジアを結ぶ、まさに生命線の要。
米国が日本を敵視した要因、戦争の要因はまさにミクロネシアの島々にあった。
さて、日英同盟終結で思い出すのが、バルフォア卿の惜別の言葉。
これを新渡戸が引用していて初めて知った。下記に引用する。
バルフォア卿が、新渡戸が、Guardian North 16を見たらどう思うであろうか?
「日英同盟は二つの大戦争にあって偉大な目的に奉仕した。それは共通の犠牲、共通の不安、共通の努力、共通の勝利の労苦に耐えてきた。両国民が、かの火のごとき試煉によって結び合わされたからには、その終結に当たっても、列車の中で数時間いっしょに旅をした、見知らぬ人同士のように、互いに帽子を取って、礼儀正しく別れるというわけにはいかない。」
<参考>
『日本-その問題と発展の諸局面』(20) - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa
日英同盟終結に向けたバルフォア閣下の別れの言葉(追記あり) - やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa