今年9月、同志社大学の坂元教授から、パラオの80%商業漁業禁止の海洋保護区は国連海洋法条約、UNCLOSに反すると伺って、まだショックを受けている。
私が知らなかっただけではなく、パラオの海洋保護区案にここ数年関わって来た、日本、米国、豪州所謂先進国の外務省、国防相、沿岸警備隊、NGO等等だれも指摘する人はいなかったのだ!
坂元教授の指摘を受けて、UNCLOS62条を始めて読んだ。
そして疑念が湧いた。もしかして、EEZの魚の権利って沿岸国にないのでは?
今度坂元先生お会いしたら伺ってみよう、と思っていたが、これを明確に書いたペーパーを見つけた。
国際海洋法の新しい思想 横浜市立大学教授(国際海洋法)◆布施 勉
【Ocean Newsletter】第7号(2000.11.20 発行)
https://www.spf.org/opri-j/projects/information/newsletter/backnumber/2000/7_2.html
本当にどうでも良い事ですが、「布施勉」というお名前、どこかで聞いた事が。と思ったらアノ布施明さんのお兄さんでした!
話を元に戻す。
EEZのお魚は沿岸国の所有物ではない事、UNCLOSは人類史上始めて”法主体としての「人類」”を登場させたのだそうだ。こんな重要な事を私は知らなかった。もしかして海洋政策研究所の人も知らないのではないか?
これぞUNCLOSの真髄、なのではないだろうか?
これを知らずに今フィジーで開催されているWCPFC会議で議論してはアカンのではないでしょうか?
布施氏の論文で当方がハイライトした部分を下記に引用する。
「人類の共同財産」原則という国際海洋法の新しい思想
「海洋をより賢く、より有効に活用するための社会科学的取り組みがいまだ十分とは言えず、かつ自然科学と社会科学との対話と交流、相互刺激と相互発展はほとんどなされていない」
海洋に対して国家が持つものは基本的には「権利」ではなく、人類に対する「義務」であるということに変わった。
このような創造的な思想の存在を全面的に肯定することによって初めて、あの膨大な国連海洋法条約を読みとおすことができるのである。
200海里の排他的経済水域を設定したが、領域の拡大といった感覚でしか捉えておらず。。。
「主権」とは、例えば民法学的に言えば物権的な概念で、「所有権」のイメージに近い...
「管轄権」は、債権的概念を持つものにすぎない。
沿岸国が持つ権利は、その水域に存在する天然資源を探査、開発、保存および管理することを目的とする管轄権であるというにすぎない(国連海洋法条約第56条)。
沿岸国の権利の方が優先すると言う意味で「主権的」なのである。
この水域における漁業資源は沿岸国の所有物ではなく、科学的な許容漁獲量の決定を通じて資源管理が義務づけられており、このプロセスを通じて余剰分が出れば、それを他国に開放しなければならない(第62条)。
排他的経済水域とは、広義の意味で「人類の共同財産」
やっぱりEEZのお魚は沿岸国のものではなかったんだ!