やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

パルド大使と国連海洋会議と開発イデオロギー

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ポリネシアの海の神 タンガロア
 

ニューヨーク国連で開催されている海洋会議が終了する。どんな結果に終わったのか。 まさに坂元教授がパルド大使のペーパーで、そして山本草二先生の一連の海洋法の誕生を書いたペーパーが指摘する「開発イデオロギー」がムンムン臭ってくる。

「開発イデオロギー」 簡単に言えば、資源を持たない途上国の主張である。国連では彼等の数が多いため彼等の、典型的例は小島嶼国の意向が反映される。

先進国と途上国の主張の合意を得るのため第3次国連海洋会議は時間を要した。米国は未だUNCLOSに参加していない。

ところで、私の一つ目に博士論文は「開発論」を理論枠組みに応用したのだが、海洋法を学ぶ中で初めて「開発イデオロギー」という言葉を知った!

「開発イデオロギー」とは何か、を議論している箇所はまだで出会っていないが、文脈の前後からその意味がよくわかる。 70年代、即ち海洋法条約が議論されている最中に太平洋島嶼国は次々と独立していったのである。

まさにNIEO(新国際経済秩序)の資源配分(島嶼の場合は海洋のであろう)のアイデア、イデオロギーに纏われた独立だった、と言えよう。

例えばUNCLOS第121条 島の制度の第3項の「岩」はフィジーとニュージーランドが入れたのである。(確か。要文献確認)

国連海洋会議でOur Ocean と太平洋島嶼国の人々が主張する時のour とは誰か? それは明らかに「人類共同財産」ではなく「太平洋島嶼国共同財産」を意味している。

顕著な例はキリバスやパラオのメガ海洋保護区である。資源の囲い込み。 そして沿岸国の「隣接性」を補完するかのように応用される「伝統」文化や神話。上の写真の海神タンガロア、亀や鯨のトーテム(象徴の造形物)。

(PIFテイラー事務局長にスピーチにも出て来る) "Our" Oceanを開発利用するのであれば、金を払え、そんな開発イデオロギーを想像しているのだが、どうであろうか?

資源配分と途上国の例も観ながら、NIEO議論も勉強したい。

資源が分配されて、途上国がそして人々が幸せになるのであろうか?もしくは資源の対価として支払われたお金で島嶼国の社会開発が、人々の生活が改善されるのであろうか?

数年前パプアニューギニアが国家予算か何かの10年分の鉱山使用権を入手した一方で2千万円の国連分担金を払わず投票権を失ったニュースは、お金が開発問題を解決するものではない、と考えずにいられなかった。

開発=お金ではないことをアマルティア・センが『自由と経済開発』で幾様にも議論していることが思い起こされる。