やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『母なる天皇-女性的君主制の過去・現在・未来』江戸時代の天皇

 明治維新を迎える前の、即ち江戸時代の天皇はどうでったのか?

 以前疑問に思って、ある教授に伺ったところ、そんな質問をして云々と怒られた事がある。聞き方が悪かったのか。それ以来気にはなるものの誰にも聞けず、良い資料にも出会えずいた。 ベン=アミー シロニー著『母なる天皇-女性的君主制の過去・現在・未来』には1章を割いてあった。

 第5章 尊崇される「籠の鳥」である。(同書152-191) 気になった箇所だけリストアップしたい。 ー1817年の光格天皇が譲位した最後の天皇であった。そして光格天皇から漢風諡号が復活。死後の天皇に「天皇」の称号をつけるのも復活。(162頁) ー徳川時代に在位した天皇は15人。70人の女性と約180人の子供をもうけた。そして多くの子供が成人前に亡くなっている。それは触診がタブーであった事等があげられる。

 また10歳頃に政治的影響を持たないよう仏門に入らなければならなった。

ー綱吉の支援で東山天皇の時、200年行われていなかった新嘗祭と大嘗祭が復活。1687年。

ーひな祭り、歌舞伎、能、伊勢参りなどで民衆の間に天皇の存在が認知される。

ー明治維新に向けた尊王攘夷の話が出て来るのだが、最後に孝明天皇が毒殺された話がいくつかの証言を紹介しつつ書かれている。

 天皇の歴史、知れば知る程、胸が潰されそうな話ばかりなのだ。 この後『母なる天皇-女性的君主制の過去・現在・未来』は明治、大正、昭和、平成と展開する。

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東山周辺には結構天皇陵がある。
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後醍醐天皇皇子 尊良親王墓は南禅寺近くの住居の中にあった。27歳で新田義顕らと共に自害。