やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「島の国際法上の地位」山本草二著

本草二著「島の国際法上の地位」p. 398−443.『国際行政法の存立基盤』有斐閣、2016年。

日本語だし、チャチャと読めると思ったら1週間も時間を過ごしてしまった。集中しないと理解できないのだ。今日やっとまとまった時間が取れた。

それでも、ここにまとめる程理解できていない。

多分、理解できた事は島の定義は水産資源を筆頭とした「その周辺海域の資源の配分と利用という、きわめて具体的な問題と密接不可分のものとしてとらえられたのである。」(437頁)という点である。

そして、当方にとって興味深かったのが、海洋法条約の策定過程で、島の定義について、ニュージーランド、フィジー等の太平洋島嶼国がかなり積極的に発言していた点である。1970から80年代、フィジーがやっと独立し、フィジー初代首相のカミセセ・マラ閣下が周辺の島嶼国の独立とEEZの確保を強調していた時期である。

これに関連し、ニュージーランドが、島国として同じ立場で意見を述べているのだが、アフリカ14カ国とラ米19カ国からの提案として「植民地独立付与宣言」などの民族自決原則の一環として島の定義に関する追加提案があった事に反対している点だ。即ち、太平洋島嶼国の旧宗主国であるニュージーランド等の支配権力の剥奪に反対したのだ。

「現地の統治権力の援助・支持なくして住民による海洋資源の開発と利用は不可能である以上、むしろ島の周辺海域に対する権利の取得そのものはみとめたうえで、その資源の利用と配分について合理的な利益が保証されるよう条件を付する方が重要であって、政治権力の実効的な独立性の有無を基準にして島の法的地位そのものを区別すべきでない。」(436頁)

これは現在議論されているBBNJにも関連して来る内容ではなかろうか?

「合理的な利益が保証」とは何か?どこかで議論されているであろうか?

「(島の)住民による海洋資源の開発と利用は不可能である」という認識は今も同じだ。

アフリカ諸国、ラ米の意見を支持する要因として想像できるのは,(当方はこの2地域についての知識がない。)植民支配が搾取や暴力であった可能性や、独立向けての背景として宗主国による資源の剥奪の傾向があったのではないか?

これに比べ、ニュージーランドは、英国の植民が他に比べ遅かったため、人権意識が芽生えた英国人の先住民への配慮が他の欧米植民地比べ強かった、と言える。よって、近隣の島嶼国への対応もそれに近い。

海洋法と脱植民地化、開発支援の動きは、特に島を巡っての議論の中で引き離せない要素である。