やはりホロコーストを扱った文書を、特に1冊本を読むのは精神的に辛い。
どうまとめたらいいのか? 写すのも気が重い。。
長崎大学の保坂稔教授の『緑の党政権の誕生―保守的な地域における環境運動の展開』に、この本の事が取り上げられていたこと、即ち議論の学術性が期待できる。そして自分の現場経験、特にシーシェパードやPEW、グリーンピース等々の環境NGOとの付き合いを通して、彼等が科学的というよりある種の「信仰」「思い込み」のようなカルト的怖さをもった集団、個人(一部学者を含む)である事を感じていたので、これを理論的に理解する事ができれば、と思い『ナチスと動物』を読む事にした。
ナチスが殺した人間の数は、スターリン、毛沢東のそれより少なく、黒人奴隷やアメリカ原住民の犠牲者よりも少ないが、特殊な怖さがある。(p. 257-258)
それは、ファシズムという政治的理由ではなく、「ある種の倒錯した生物学的/人種的思考を特にドイツの知識階級が広く受け入れた結果」(p. 11)であった。
この「倒錯した生物学的/人種的思考」について、読むのが辛くなるほど、ナチスと動物の個々の出来事を観察し、分析していくのである。
ナチス党員で、ナチの優生学や人種衛生学を確立したノーベル賞受賞者の動物学者コンラート・ローレンツが大きく関わっている事は重要だ。
コンラート・ローレンツは緑の党を立ち上げ支持し、戦後のUNESCO、IUCN、WWFの設立に重要に役割を果たしたジュリアン・ハクスリーと親しかった。
さらにこの本にはないが、イリオモテヤマネコの件で英国のフィリップ公を動かして日本の皇太子宛に手紙を書かせたポール・ライハウゼンと共著を出している、重要な情報のような気がしている。
Konrad, Paul Leyhausen Lorenz. "Motivation of Human and Animal Behavior an Ethnological View" 1973
以下、付箋を付けた頁の簡単なメモ。
p. 19 ホロコースト学やホロコースト専門と図書館までもある、という。しかしあの病理学を分析できる段階まで達していない。
p. 21 それはナチス研究が、アカデミックの極限に追いつめられ、神学と形而上学と図面のない領域しかない、極限状態。
p. 22-23 ナチスを理解するために動物が重要であることを気づいたのは作家のギュンター・グラス。
鼠や犬を介してナチスを語る。
P. 29 ナチス党員だったコンラート・ローレンツ 「我々にとって種族と民族性がすべて。ここの人間はいかなる意味もない。」
p. 42-45 ニーチェの自然観について語られている。人間の家畜化が文化。人間の深層は野生。ニーチェは病弱で、自然との出会いは恐怖と忘我恍惚の念。
p. 48 コンラート・ローレンツ 「肉食獣は、その破壊力を縄張りの内部にとどめる本能的な倫理性を備えている。これとは対照的に、鳩やウサギなどの草食動物にあっては、争いごとははるかに悪意に充ちている。」これはナチスの根源的神話「捕食獣は他の動物よりも自然に近く、さらに大きな生命力を備えている。」という捕食獣への偏愛という点で共通。
p. 52 なぜ、ナチスがドイツで生まれたか。現代の文学者エリアス・カネッティの次の文を引用
「ドイツから軍隊を奪ったヴェルサイユ条約をドイツ人は単なる屈辱以上のものとして感じている。それはドイツに対する第一義的なアイデンティティの否定でもあった。」
p. 54 ローマ人も畏怖したゲルマンの森の事が書かれている。千年以上にわたり、異教徒自然崇拝とユダヤ・キリスト教の精神性のあいだの相克がドイツの歴史の背骨を形成した。
p. 55-56 ルネサンスがイタリア、啓蒙主義がフランス、ロマン主義はドイツ。ロマン主義:絶対への憧れ、天才崇拝、自然に対する尊敬、遠い過去へのノスタルジア、情熱の高揚、科学への懐疑、芸術を通しての救い。これが米国やフランスとの違い。
ここに1992年のリオを主導したドイツが重なるように見えるが、どうでしょうか?
p. 61 ナチスはゲルマン族を中心とした小宇宙を構築。そこには一部の動物が含まれても、多くの市民が除外された。即ち犬の方が人間より価値が高い事がある。これが動物保護法の背景にあるのか?
p. 62 ハンナ・アーレントが引用されているので書いておきたい。
「全体主義の恐怖は、自然または歴史の力に、その運動を加速する比類のない手段を付加するらしい。(中略)自然が『生きる事に適応しない』種族または個人に宣告した死刑を、恐怖政治はその場で即刻執行する。」
p. 110−112 「ジャングルブック」と英国の植民地主義、ナチスの自然支配、集団虐殺等々との関連。主人公の少年はナチスに重なる。コンラート・ローレンツの子供のころの愛読書。
p. 120 米国の環境運動先駆者、アルド・レオポルドは1935年に林業を学ぶため渡独。ドイツは林業の先進国だった。レオポルドはドイツの自然保護運動に共感し、米国に自然保護協会を設立。ユダヤ主義と資本主義への反感、コミュニティへのあこがれ、ドイツの民族主義者との響きがあった。アメリカは原住民をほぼ根絶やしにし土地の豊かさを破壊していった、往時のイスラエルの民のように。
p. 136-140 ナチス体制は10年で崩壊したが、ナチスの狼礼賛の要素、レトリックはコンラート・ローレンツなどによって戦後も生き残っている。そしてローレンツの学者としての議論にも疑問を投げかける。しかも彼の誤謬がナチスの官僚組織と犬類の行動様式をつなげたのである。
火に油を注いだ狂った学者?ということであろうか。
p. 201 コンラート・ローレンツがどれほどナチスに関与したかは 1990年のウーテ・ダイヒマンの『ヒトラーの下の生物学者』が出るまであまり知られていなかった。ローレンツはナチスの人種政策局のメンバーでもあった。そして「重要な事」は1944年6月ローレンツがそソ連に捕まえられるまで、1942年からポーランド人との異種結婚によって生まれた児童の強制収容所送りに荷担していたこと。
p. 239-243 ホロコーストの語源。動物の供え物。「丸焼き」。この後も興味深い分析が書かれているが、写す気が起こらない。。。
感想:この本を読んでよかったと思っているが、途中個々の事例は読むに堪えず、飛ばさざるを得なかった。一番印象に残ったのが動物学者コンラート・ローレンツの存在だ。そして彼が、緑の党を支持し、WWFやIUCN等現在の環境保護活動を創設したジュリアン・ハクスリーと親しかったこと事だ。点と点がつながった、そんな感想である。
最初に書いたように、白人が主導する環境保護活動にはナチスの傾向ー「倒錯した生物学的/人種的思考」ーを感じる。感じるレベルで、まだこれを理論的に説明できない。しかし「鯨が、鮫がかわいそう。これを殺して食べる日本人には3つ目の原爆を落してやりたい」というPEWのような環境NGOの活動に、益々、ナチスが、ゲルマン民族が重なってくるのだ。