やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『大地のノモス』カール・シュミット著 ヨーロッパ公法から国際法へ(3)

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何歳のシュミットであろう?国際連盟創設に活躍した新渡戸を知っていたであろうか?そしてシュミットの国際連合に対する批判は?

 

第3章 国際連盟、および大地のラウム秩序の問題 p. 306-332

シュミットの国際連盟批判である。

・無秩序の世界がヨーロッパの(ドイツ・オーストリア・ハンガリーというヨーロッパ国際法の、純粋にヨーロッパ的な、しかも中央ヨーロッパ的な2つの強国を敗者として)土地の新しい分割を試みた。それは国際連盟の役割であった。

・国際連盟のの三分の一、18カ国がアメリカ諸国で、これらの国は合衆国の影響を受けていた。即ち合衆国は国際連盟のメンバーではなかったが3分の1の投票権に影響を与える立場にあった。

・中世ヨーロッパのキリスト教共同体が現実のラウム秩序を含んでいたのに対し1919年から1939年までの国際連盟はラウム具備的なノモスの明瞭な観念がない場合、包括的国際法的秩序という規範体系を得ることだができない。

・ジュネーブの企画はヨーロッパ秩序であると同時にユニバーサルなグルーバル秩序を目指した。それは世界海洋帝国であったイギリスを背景に。

・ヨーロッパの大地の統一を教導したのは、パラグアイ、ウルグアイ、インドの大公であった。ソ連と米国という2つの強国を欠き、英仏という異なった体系を持つ国が主導していた点ですでに矛盾があった。

・第一に国際法は、殲滅戦争を阻止するという、それ故に戦争が不可避であるならば戦争を保護限定するという、課題を持っているということ、第二に、真正な保護限定なしに戦争を廃止することは、新しい、おそらく一層悪い種類の戦争のみを、内戦への逆戻りや他の種類の殲滅戦争への逆戻りを結果としてもたらすということが、想起されなければならない。p. 315

・1939年9月第二次世界大戦勃発の際、国際連盟が仲介を依頼されるということはなかった。

・ラウム秩序の欠如は、永世中立化という19世紀のヨーロッパ国際法の本質的な構成要素を形成していた。戦争を許可しないという、即ち戦争遂行国家を正と不正に国際法的に差別化する要求を含む制度に矛盾している。

・ヨーロッパ諸国は米国のために21条を入れたにも拘らず米国は参加しなかった。

第21条【局地的了解】本規約は、仲裁裁判条約の如き国際約定または「モンロー」主義の如き一定の地域に関する了解にして平和の確保を目的とするものの効力に何等の影響なきものとす。

・ラウムカオスの中で、敗者であるドイツはどこに正義と衡平を見出せばよかったのか?国際連盟はラウム形成をできなかった。

・米国は国際連盟に不在であったが影響力を持った。「領土を支配するものが、経済を支配する」「経済を支配するものが、領土を支配する」という命題を混乱させた。

・国際連盟は西方、東方からも無視されることとなった。

 

<感想>

シュミットの国際連盟批判は、その通りであると思う。最初から無理が、矛盾があったのだ。ではベルサイユ以降、日本は、新渡戸は何をすべきだったのか?もし国際連盟がなかったらどうなっていたか?もし日本が支援していなかったら? シュミットともう一人のナチスの加担者コンラート・ローレンツを比べてしまう。倒錯的生物学とホロコーストを結びつけたノーベル賞受賞者だ。戦後もドイツの緑の党を立ち上げ環境保護に影響を与えている。年金で隠遁生活を送ったシュミットはどんな人生を送ったのであろうか?