評論家江崎道朗氏の『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』が昨年出版されてから1年近くが経つ。弁解になるが、既に数百冊の本を棄て、もう本は買わない、図書館にあるのは借りて、ないのだけ買う、というポリシーを自分で決めている。
『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』も図書館にあったのだが、いつも貸し出し中、だった。
伊藤隆先生も絶賛の本なのである。
やっと読む事ができた。
江崎氏の米国政治や東京裁判史観についてはSNS等で追っていたのでだいたい知っていたつもりである。
加えてオバマ政権の対太平洋島嶼国政策や、海洋政策を見てきて、期待していた分大きな疑問と失望を持っていた。更に加えて、旧知の米国人政治家が共和党であったため、民主党政権の「悪い部分」をじっくり知る機会もあった。
この書のテーマの一つ、コミンテルンの動きも、レーニンやウィルソンの自決権の話や、新渡戸周辺の太平洋問題調査会の話、特にラティモアの存在など、これも江崎氏の普段の言論を伺いながら、自分なりに追っていたので、よく理解できた。
今回初めて知った箇所の一つが「アメリカ作家連盟の設立」という項目だ。
ここもコミンテルンの影響下にあったのだ。
『怒りの葡萄』『武器よさらば』などはハリウッドで映画にもなっていて、文学と共に映画にもコミンテルン影響はあったのであろう。最近見た『スミス都へ行く』もそうかもしれない。ダム開発を反対し、自然保護区を提案する純朴な西部の青年が資本主義の悪徳商売人と戦う構図。
もう一つ知った事はレーニンの凄いところ。即ち共産党を単に大きくするのではなく、資本主義国同士に戦争させ、権力を奪う事を計画していた事だ。
米軍はオバマの軍事政策を米国封じ込め作戦と皮肉っていたのか。
ハワイ育ちの大統領は誰よりも太平洋の事を知っている、という希望に満ちた声がブラックホールに吸い込まれるように消えて行った様子を覚えている。
そして日本である。
江崎氏が批判する日本の学術研究の限界をどのように見て行けば良いのであろうか?
私が一番関心を持っている「自決権」の研究の第一人者松井芳郎教授らしいのだ。
実は同教授の「現代の国際関係と自決権 」の後書きを読んだだけで気が滅入っている、がこれはいずれブログに書きたい。レーニンの、自決権の批判的検証をする姿勢は全くないのだ。。後書きを読んだだけなので、私の勘違いかもしれません。