やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『シュタイン国家学ノート』瀧井一博著

 

<同志社大学の図書館>

同志社大学に入学して嬉しい事は、図書館へのアクセスである。特に法律関係は普通の図書館には置いていない本が多いし、買うと高いし、古書でも見つからないのがある。

同志社大学は各学部にも独立した図書館があって、院生だと比較的自由に借りる事ができる。

メインの図書館の地下室の蔵書が面白い。図書館スタッフにお願いして取って来てもらう事もできるのだが、色々な本に出会えるし、ほとんど人がいないので、お気に入りの場所である。

ローレンツ・フォン・シュタイン著『平等原理と社会主義』を借りに地下室へ。本棚の近くで見つけたのが瀧井一博著『シュタイン国家学ノート』(2005年、信山社出版)

 

 

<シュタイン博士と日本>

『シュタイン国家学ノート』は睦奥宗光筆記録なのだが、薄いのと付録に「日本帝国史および法史の研究」(197-229)というシュタイン博士が書いた短い文章が大変興味深かったので、『平等原理と社会主義』といっしょに借りて来た。

シュタイン博士、遠い異国からひっきりなしに訪れる日本人の学ぶ姿に驚き、敬意を示している。こんな事は歴史上1回しかないと書いている。それはローマ人が自分たちの国制モデルを手に入れるために、ギリシアに使節を派遣した事だ。(204-205頁)

伊藤か誰か、日本の遣唐使の事を教えてあげなかったのであろうか?

 

伊藤博文が始めた「シュタイン詣で」。勿論そんな日本にシュタイン博士が特別な関心をもつ事は当然であろう。シュタイン博士は逆説としてヨーロッパとは一見異なる日本が、法生活の点において同質である、という見解に到達した、とまで述べているのだ。(199頁)

 

<シュタイン博士、神武を語る>

日本人は江戸時代から必死で西洋の学問を輸入していたはずであるが、日本の歴史文化はどれほど英語や外国語にしてきたのであろう。多分皆無だったに違いない。

シュタイン博士はどんな文献で日本を学ぼうとしたのか。氏族制、氏族的王権の起源を神武から語っているのだ。そしてヨーロッパと日本の同質性を示そうとしている。(212ー220)この文章が発表されたのが1887年である。

その上でヨーロッパが1815年から1848年までに準備し、1848年以降全国でなされた事を、日本は1890年に天皇が憲政を導入することを約束し、新しい行政を樹立するという事を短期の内に、しかもヨーロッパでは大学でする事を、日本は帝国全体で始めている、と指摘している。(222頁)

最後に日本の個性として5つをあげているが、5つ目が興味深い。日本語の言語と標記が非合理的事この上ない、と。

シュタイン博士が日本に来たという記録は見た事がないので、多分来ていないのであろうが、来て欲しかったなあ、とこの文章を読んで思った。

 

<平等、立憲君主>

本文もまた興味深いのだが、2点だけ書き留めておきたい。

平等についてである。(6頁)平等なるものなど存在しない、他の何かと同一であるものなど何もない。平等とは原理にすぎず、事実ではない。と喝破している。ルソー批判を思い出す。

27ー28頁にも平等について若干の議論がる。

 

もう一点が共和制と立憲君主の違いである。

シュタイン博士は米国の大統領制を、たった4年の利害でしか政治ができない、世界で最も哀れな国家だったであろう、と厳しいが、今の様子を見ると当たってる?さらにビスマルクが共和制を衆愚にすぎない、と言ったのはいくばくかの心理があると指摘する。

そして世襲の君主は将来にわたる利害を考える事ができ、立憲君主に優れる政体はない、と。(95-96頁)

 

<伊藤博文ー憲法ハ大体ノ事而巳ニ御座候故>

本書の最後に著者瀧井氏の解説がある。そこに伊藤博文がシュタイン博士の講義を受けた後に書いた「憲法ハ大体ノ事而巳ニ御座候故、左程心力ヲ労スル程ノ事モ無之候」という記述を紹介している。それはシュタイン博士が日本人達に教えたのは憲政の枠組みであって憲法制定にとどまらない、政治構造改革を示したからである。

当時、民権派が憲法を求め苛烈な政府批判を繰り返していたのだでそうある。(知らなかった)

憲法よりも国制、憲制。なんだか今の議論にも通じるのではないだろうか?