やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞と海洋物理学者の父

カズオ・イシグロ氏、知らない作家だった。

SNSを追っていると彼の父親が高名な海洋物理学者である、という記述があって、リンクを辿ってみた。「海」ということなのでここに書いておこうと思う。

イシグロ・カズオ氏の父、石黒鎮雄博士は海洋物理学者だった。上海生まれの鎮雄博士の父親は石黒昌明さんで、上海の豊田紡織廠の取締役だった。(自動車のTOYOTAに繋がっている!)

http://d.hatena.ne.jp/masudako/20121014/1350215515 より。

・石黒鎮雄氏は海面の波を研究する海洋物理学者であり、エレクトロニクス技術の応用を得意としていた。気象庁に勤め、東京の高円寺にあった気象研究所から長崎海洋気象台に転勤になった。

国立研究開発法人海洋研究開発機構小栗一将さんのサイトにあるエッセイにイシグロ・カズオさんのことが出てくる。小栗さんの祖父がイシグロさんのお父さんと親しかったそうなのだ。

エッセイ2:イギリスに渡った研究者-シズオ・イシグロをさがして

http://www.jamstec.go.jp/res/ress/ogurik/essay2.html から

・1960年、石黒さんはイギリスに渡り、国立海洋研究所で主任研究員の職を得ます。

・一見順風満帆だった石黒さんが、職を辞めてでも渡英する道を選んだ背景には、石黒さんを取り巻く、当時の日本のアカデミズムの影響があったようです。

・当時所内には、研究者と軍人上がりの人達との間でかなりの諍いがあり、結局彼らは研究所を出ていったというもので、元の軍人達を嫌悪する辛辣なものでした。

・祖父は気象研究所を離れた後に三ヶ日の祖母の家に入り、亡くなるまでずっとミカンの栽培を行っていました。元々研究者気質だったためか、ものごとを突き詰めることが好きで、畑の土壌改良や木の枝ふりのことなど、様々な研究をしていたようです。その努力の成果は家に入って間もなく現れはじめ、ひいては三ヶ日みかんのレベルを大きく引き上げることになりました。(この箇所はイシグロさんと関係ないが、戦後のアンチ軍人の動きを知る、胸が痛む話でもあり、励まされる話でもあるので引用したい。)

・祖父は、結果として世界的な小説家を生むことになった石黒さんの重い決断とその理由を知らされていたのでした。

ノーベル文学賞受賞者のイシグロ・カズオを作ったのは、戦後のアンチ軍人やアンチ植民の社会的動き、そして閉鎖的(?)日本のアカデミズムに耐えられなかった優秀な海洋学者の父親の存在があったのではないだろうか? 

カズオ氏より海洋物理学者石黒鎮雄博士に興味を持った。

<追記> 

2017年6月1日発行 Vol.7 No.1 2017 日本海洋学会ニュースレター 5−6ページ。

寄稿3 石黒 鎭雄 博士の思い出 九州大学名誉教授  光易恒

http://kaiyo-gakkai.jp/jos/newsletter/2017/2017_v7_n1.pdf

(呟き:石黒鎮雄博士の写真があるがカズオさんより全然カッコイイ!これは日本のアカデミズムから嫉妬されますね。)