やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

インド太平洋構想ーハウスホーファーが日本で学んだ地政学

2002年3月に受領された同志社大学文学研究科の修論「ドイツ地政学再考 : カール・ハウスホーファーを中心に / 中崎雅子」を読んだ。

修論は貸し出しもコピーも禁止なのだが、ちょうど図書館の隣が文学部。

37ページの短い論文だが読み応えは十分ある。

ハウスホーファーを語るために、当時のドイツの政情や、地政学の動向、そしてハウスホーファーの研究内容と盛りだくさん。ドイツ語文献を含む豊富な資料を研究し、若いのに偉いなあと関心しながら読んだ。

それにしても、なぜハウスホーファーなんかに関心を持ったのであろう?

中崎さんの論文の文献リストにシュパング博士の論文と、林有子さんという方の論文があり早速借りてこれはコピーし線を弾きながら読みました。ハウスホーファーを読む前に全体像を掴みたい、と言う私の気持ちが強いのだ。

クリスティアン W シュパング。日独関係におけるカール・ハウスホーファーの学説と人脈1909 - 1945。 現代史研究 現代史研究会 46, 35-52頁 2000/12

林有子、「日独戦時イデオロギーを支えた「土の思想」--カール・ハウスホーファー地政学をめぐって」特集:日独交流史の再検討、2001、ドイツ研究 / 日本ドイツ学会編集委員会

上記2論文をざっと、一回だけ読んだ理解では、戦後日独の地政学が「悪魔の地政学」として封をされたのは、生き残ったボン大学のカール・トロル教授がすでに他界していたハウスホーファー親子に全ての責任を押し付けたことに原因の一つがある。日本でも同様であろう。蠟山政道はじめ戦後知識人による笹川良一叩きなんかはそうかもしれない。

ともあれ、最近までハウスホーファー研究がされなかった原因だ。

ハウスホーファーヒトラーを見下し、息子は反逆罪で処刑され、ハウスホーファーの妻がユダヤ人であったため一時は収容所に入れられるような状況であったのだ。

ナチスに利用されたハウスホーファー地政学は彼の1909−1910の日本滞在が原点になっており、私の想像の通り後藤新平の影響が大きい。これは後藤新平の「日本膨張論」を読んでいるとわかる。

当時の情勢もあり、日本もドイツもアンチアングロサクソンの傾向は強かったようで、ハウスホーファーは反英米を掲げ日独露体制を提唱する。これが1933年の国際連盟脱退あたりからハウスホーファーの努力による「日独同盟」、そしてハウスホーファー地政学が日本に逆輸入されることにもつながる。

防共同盟でもある。

しかし独ソの戦いが始まった時点でハウスホーファーナチスから不要とされる。

他方、ハウスホーファーの太平洋地政学は日本に南進論を決定づける。なんとここも当方の想像は当たっていてハウスホーファーはベルツなどを参照し、日本人がマラヨ・ポリネシア、即ちオーストロネシア語族であることを根拠に太平洋覇権を提唱しているのだ。(余計な御世話だったかも)もっとも、ハウスホーファーに言われるもっと前から紀州、山口、広島あたりのウミンチュが太平洋を制覇していたのだが。。

日独同盟のあたりで近衛のブレーン蠟山政道が出てくる。植民政策学者矢内原が「...北に満州、南に南洋を戦略戦術的及び経済政策的に根幹として太平洋に覇を唱え云々の思想言論態度は自殺的矛盾ではないだらうか。」と批判した蠟山政道である。

後藤が示した地政学ハウスホーファーを経て、蠟山などの昭和研究会周辺に逆輸入されたのではないか?それは後藤が、即ち横井小楠あたりから始まった地政学とは全く違う姿となって。。日本の

正当地政学、即ち植民学を継承していたはずの矢内原は1937年に蠟山、近衛などによって東大を追放される。「矢内原事件」だ。

以上、ドイツも地政学も、近現代史も全く専門分野外ですので誤解、曲解が多いと思います。

なお、日本の地政学は本来開かれているのである。ドイツの地政学ダーウィニズムで民族的色が強いようだ。ここら辺も林有子氏の論文を再読したい。

安倍総理はルールを守るのであればインド太平洋戦略には中国も歓迎すると言っている。下記の山本一太議員の質疑 1:20あたりから。