やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「ハウスホーファーとラティモアに就いて」

同志社大学の図書館は私にとって宝島のような場所である。

しかも院生しか入れないドアの向こうは宝がザークザク。

ここで見つけたのが日本地政学協会が発行していた雑誌だ。ハウスホーファーの文献がいくつか掲載されている。

その中に5頁の短い論文だが興味深いタイトルだったのでコピーして何度か読んでいる。

辻村太郎、木内信蔵、「ハウスホーファーラティモアに就いて」地政学、第1巻5、昭和17年5月、日本地政学協会発行

ハウスホーファーの「太平洋地政学」とラティアもの「内陸アジア地政学」を読んだ感想である。

著者は、この二人が米国の反日とドイツの親日を促進している重要な人物である事を指摘。即ち反日の米国がラティモアを出したのではなくラティモアが米国を反日し、親日のドイツがハウスホーファーを出したのではなく、ハウスホーファーがドイツを親日にしたのだ。

一人の人物が国家関係を変えてしまう。

それから、ドイツが太平洋に高い関心を持つもこれを譲ろうとしている(日本に、だと思うが)箇所も気になった。これが日本が太平洋島嶼国に軍事進出をした背景であろうか?

反日を促進したラティモアもその中国への観察眼を高く評価している。

「夫々の国が各々の地政学を持つべきは言う迄もない。...大国たらんものは、単に自国のみに都合のよい地政学を持つ事は許されぬ。」

この頃の言論統制の状況は全く知らないが、著者はハウスホーファーとラティアモアを一見評価しているように見せつつ、日本は独自の道を進むよう真剣に考えているようにも見える。ラティモアは中国で生まれたわけではない。同様にハウスホーファーは太平洋を文献でしか知らない。

後藤、新渡戸、矢内原が開拓した植民政策論、日本膨脹論が、もしかしたらこの地政学に取って代わられてしまったのではないか、と一瞬想像した。植民政策論は戦後開発経済学として矢内原によって再開されたのだ。