やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

読書メモ『植民学の成立』田中慎一1982

このペーパーは、日本の植民学がどうなっているのか専門家のアドバイスを聞いてから再読したい、と思っていたものだ。同志社大学で幸い植民政策で博士を持っている若手研究者にお会いできたので期待していたのだが、日本の植民学、植民政策、植民は海外から持ち込まれたものだ、という。

ウーン、後藤、新渡戸、矢内原の限られた植民論しか読んでいないがそうなんだろうか、と思い再読する事とした。

*田中愼一、「植民学の成立」 北大百年史、1982年 7月25日 北海道大学 580−602

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/30027/1/tsusetu_p580-602.pdf

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/30027

南原繁の植民学の系譜の議論から始まる。

現在国際経済学に引き継がれる植民学は矢内原が原型を作ったと言われているが新渡戸に遡るべき、と。(後藤は?)

これに対し、田中は東大京大の植民学ではなく、札幌農学校の系譜を論じようと試みる。

まさに北大植民学の起源だ。それは1880年代に新渡戸の友人でもあった佐藤昌介によって開始された。佐藤の勧めで新渡戸は米国のジョンズ・ホプキンス大学に入学したのだ。

佐藤昌介の米国での、そして北海道での植民学に関する学業の形跡が詳細に議論されている。

最後の「結びにかえて」と題して新渡戸稲造が出て来る。

そこには「北大植民学は1890年代、佐藤によって基礎が築かれ、新渡戸もそれに寄与した。」(601)とある。

そして佐藤の植民が内国植民を設定し、これを高岡熊雄が補強・全面展開したことで近代植民地問題を扱えず、帝国主義・植民地体制批判ができなかった、と。(601)

そして新渡戸の「植民地は一の病的状態」「植民地は性質上一時的のもの」という表現を引用し、日本の植民学が「空前の盛行に達しながら、しかもなお学として未確立の状態で、敗戦をもって一挙に瓦解した。...日本の帝国主義崩壊の必然的帰結である。」(602)と結んでいる。

果たしてそうであろうか?

後藤、新渡戸、矢内原の植民学は戦後開発経済学に引き継がれたのではないか?

崩壊したのは蝋山が矢内原に「自殺的矛盾」と指摘された地政学で議論されていたような植民論、だったのではないだろうか?ここら辺はまだまだ議論ができるほどわかっていない。

しかし、ここ数日の読書で、立作太郎氏の委任統治に関する議論に領土権を持たない主権のあり方として植民論が出てくる。これは私が博論で扱おうとしている「国家管轄権」と関係して来るのではないか、とボヤッとだが、感じている事だ。

そう、海洋ガバナンスに植民論が、委任統治論が応用できるのではないか、とボヤッと感じている。

*田中愼一氏は北海道大学教授。2010年で退官。東京大学 経済学部卒業。 もしやマルクス主義

田中愼一教授 略歴

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/42782/1/ES59-4_010.pdf

田中愼一教授 研究業績

https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/42783/1/ES59-4_011.pdf