やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「ベルツの日記」ハウスホーファーとベルツ

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 ハウスホーファーが太平洋地政学で、日本人マレイ説を応用している背景には、ベルツの存在がある。

 「ベルツの日記」という本がある。

 ベルツの日本滞在を綴ったもので、ナチス時代ドイツで出版された。日本で翻訳出版されたのは1939年。

 明治9年から明治38年まで日本に滞在したエルヴィン・フォン・ベルツ博士は日本に医学を紹介しただけでなく人類学研究をし、1万人以上の日本人を調べて、日本人にマレイ系と大陸系があると主張した。このマレイ系が今でいうオーストロネシア語族で、インド太平洋に拡散した言語集団である。

 ハウスホーファーはこの説を応用し、太平洋地政学を議論している。新渡戸も日本人マレイ説を持ち出している。ベルツの弟子だった鳥居龍蔵も一時までマレイ説を主張していたようだ。

 さて、日本は長年の鎖国の中で和蘭との貿易は継続した。この和蘭の中に後のドイツ人が入っているのだ。本書の「題言」にケンフェルというドイツ生まれの医者が元禄3ー5年日本に滞在し日本に関する本を著して始めて欧州に日本を紹介した、とある。

 ベルツが日本に来た理由の一つにドイツに留学していた日本人学生の様子に随分と良い印象を持った事があるようだ。 20歳違いのハウスホーファー(1869 - 1946)とベルツ(1849 - 1913)はどこかで会っているであろう。2年弱しか日本に滞在していないハウスホーファーの日本に関する情報は元禄時代のものからベルツまでかなり量も質も濃いものだったのだろう。  日本がナチスドイツと接近した背景には300年の和蘭との国交、ハウスホーファーだけでなく、ベルツの日本紹介や、ベルツの日本の弟子達の存在もあったのかもしれない。