今年1月、始めて草津を訪ねた。ベルツ博士(1849年1月13日 - 1913年8月31日)に会いたかったからだ。
ベルツは新渡戸や後藤の文章に時々出て来る。そしてインド太平洋構想に深く関係しているはずなのだ。さらに皇室侍医でもあったのだ。天皇陛下のお言葉にもベルツが出て来る。
本当は『ベルツの日記』を読んでからと思ったが、先に草津でご挨拶して、先週から読み始めた。
日本政府との1876年からの2年契約が26年に。ハウスホーファーとの接点もあったはずだ。
日独同盟にも大きな役割を、本人は意図せずだろうが、果たしたと思う。
ベルツの日記はご子息トク・ベルツの編集によるもの。私が読んでいるのは岩波文庫上下巻、1981年、菅沼竜太郎訳である。日記である事と、軽快な文章でどんどん読める。
上巻は6編からなる。
第一篇 渡日まで
第二編 異郷にて
第三編 第二の故郷
第四編 教職を退くまで
第五編 フランス領インドシナ・韓国への研究の旅
日本における反独感情とその誘因
第六編 戦雲急
「第二編 異郷にて」 に、当時の日本人の天皇への関心がいかに低いか憤慨している。天皇誕生日には警察が各家に国旗を立てさせ、自発的にやるものはごく少数、と書いている。この無関心さが戦前戦中の狂信的神道崇拝に繋がったのではなかろうか?
最後に、トク・ベルツ氏の口述記録として岩倉公の最後を看取った事が書かれている。1883年。ベルツ35歳の時だ。岩倉公は52歳。みんな若い!
Kusatsu guter platz Einmal kommen Sie どっこらしょ
In heisser Quelle コリャ
Bluhen Blumen チョイな チョイな ♪
ベルツの弟子達はドイツ語の草津節を歌った。ベルツは病気療養のためダボスを日本に作りたかったのだ。