インド太平洋戦略を調べていたらドイツ人のカール・ハウスホーファーに出会った。
軍人であり、地政学者でヒトラーのご指南役だ。しかも第一次世界大戦前に京都に2年滞在し、彼の書いた太平洋地政学は、日本の武勇的南進論、すなわち蠟山政道が覇権主義を説いた1933年以降の南進を刺激したようである。
ハウスホーファーに影響を与えた一人が明治時代に30年近く日本に滞在したドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士で、約1万人日本人の人類学的調査を行い、主に部落人がマレイ系、即ちオーストロネシア語系であるという説を書いている。
「ベルツの日記」ハウスホーファーとベルツ
日本にマレイ語(オーストロネシア語)があるのはそれ以前から言語学者カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Friedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt、1767年6月22日 - 1835年4月8日)が指摘。アジア太平洋を航海したクック船長の頃から言語の共通性は認識されていた。クック船長の航海は学術調査船であったのだ。
この日本人マレイ系説は、ハウスホーファーや彼の弟子であったゾルゲによって日本に武勇的、覇権的南進論に変わってしまった。ベルツの弟子であった鳥居龍蔵もこの日本人マレイ系説を唱えなくなった、という。これは新渡戸が書いている。
"Tropics of Savagery" - Robert Thomas Tierney 桃太郎と南進(追記あり)
明治以降、太平洋の海を面として、即ち遠洋漁業を開拓したのは日本人、特に瀬戸内海や紀伊の海人だったのだ。江田島の士官学校に刻まれた神風特攻隊の出身地がまさに瀬戸内海を囲む土地の人々で占められていた事がこの事と重なった。
『海の民のハワイ』小川真和子 著(2)ジャップを公海上から閉め出せ!
瀬戸内海、紀伊半島の海人は自ら開拓した太平洋を自ら守ったのではないか?しかしどこかで日本人マレイ系説は、即ち南進論は歪められたと思う。それは矢内原が「思想言論態度は自殺的矛盾」と手厳しく批判した近衛文麿のブレーンだった蠟山政道あたりからではないだろうか?というのがまだきちんと調べていない当方の勘の範囲です。
「南洋委任統治問題の帰趨」蠟山政道、改造1933年5月号