久しぶりに哲学の道を歩いた。 熊野若王子神社の近くに来て「そうだ、ここら辺に新渡戸が住んでいて、新渡戸の崇拝者であり生徒だった和辻哲郎も住んだ有名な家があるんだった。今は梅ナントカさんが住んでいるだったか?」 と思い出して、後でウェブサーチしたら「密語菴」という日本家屋で原三渓の番頭古郷時侍の旧宅、とあった。現在の主人は梅棹忠夫さん(梅原猛さんの間違いでした。2019.1.14)だった。家ができたのが明治中期とか、大正7年とかウェブ情報は色々である。
原三渓とは何者か?ウィキによると富岡製糸場の経営者。1868年生まれ。逆玉で教育者。1862年生まれの新渡戸と接点がないはずはない、と思う。ちなみに新渡戸も逆玉で教育者だ。
そして新渡戸は天才的「人たらし」である。きっと。 柳田國男を民俗学者にしたのも新渡戸。伊藤博文に日韓併合を講義して気持ちを変えさせたの新渡戸(多分)。
もし6歳年下の原三渓が新渡戸に会っていれば絶対たらされている。竹内栖鳳が1929年のIPR京都会議に合わせて日本家屋を作ったように(これも私の想像なのだが多分あってると思う)、京大教授であった新渡戸に家の一軒くらい建てたと思う。原三渓であれば。 新渡戸を慕っていた一高の生徒和辻哲郎がその後住んでいた、と知るとなおさら密語菴は原三渓が番頭古郷時侍に言って、新渡戸のために作らせたのではないか、と思いたくなるのだ。だから和辻もそこに住んだ。新渡戸を偲んで。。(想像・妄想は止まらない)
本当は、哲学の道で本を読もうと思ったのだが、思ったより寒く、しかもユスリカがたくさん飛んでいて、新渡戸のことに思い馳せたお散歩になってしまった。