ハウスホーファーを調べる時に柴田陽一さんという若手研究者が地政学の博論、書籍を出している事と知った。下記は講演記録。興味深いところだけメモした。
柴田陽一 『グローバリゼーション下の国土計画を考える --東アジ アとの交流の深化を踏まえて (調査業務)』 (2014): 112- 144
URL http://hdl.handle.net/2433/191084 一般財団法人 日本開発構想研究所
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/191084/1/shibata.yoichi.201403.pdf
以下、メモ
- 第一次世界大戦後、地政学はドイツや日本を中心に発展した
- 英語圏では、ドイツの地政学に対する拒否感があって研究が盛んではなかった. アメリカの国務長官をやっていたキッシンジャー(Henry Kissinger、1923-)が「ジオポリティカル(Geopolitical)」という言葉を使うようになってから、 1970 年代後半から 80 年代にかけて、地政学に対す る関心が復活していく
- 倉前盛通(1925-1991)『悪の論理』学術的 な検討にたえられるようなものではない
1地政言説は、世界情勢における権力と危険についての切実な問いを発す。
2 地政学の魅力は、複雑な世界を「敵と味方」、あるいは「狂信と文明」といった地域に二分すること。
3それで地政学は世界の情勢の 将来的方向性についての洞察を与えるように見える。
- 地政学が日本に輸入・紹介され始めたのは 1920 年代半ば。後に日本主義的な 思想に傾倒する政治学者の藤澤親雄(1893-1962)という人物が、1925 年にチェレーンの 国家学説を紹介したことに始まる。
- 和辻哲郎は「国土学」と呼んだ。
- 経済学からの批判「土地と政治を直ちに結びつけようとする。経済地理的な見地からすると、その 中間項目が抜けているずさんな理論に過ぎない」
- 「レーベンスラウム(生存空間)」という概念が、日本が東アジアだけではなくて、東南アジアなどの 占領地を獲得していくことを正当化する理論として登場
- 「ハウスホーファーブーム」ー「インドパシフィック圏に関する報告」石島栄・木村太郎訳編『大東亜地政治学』投資経済社出版部、1941 年 3 月など
- 戦局の進展も相まって、「地政学に乗っかれば何かしら発言ができる」という チャンスが地理学者に到来。多くの地理学者 が地政学に手を出していく。
- 小牧は思想戦を遂行する中で、怪しげな組織と関係を持つ。戦争文化研究所、スメラ学塾という、何をしていたかよくわからないようなところ。 高嶋辰彦という軍人を中心 に築かれたもので、情報局にいた鈴木庫三(1894-1964)、小島威彦 (1903-1996)や仲小路彰(1901-1984)といった連中ともつるんでいた。極右的な思想を持った人たちを含んだ宣伝、思想戦遂行のためのネットワーク、当時はかなり大きな影響力を持っていた。
- 地理学者以外に政治学者や経済学者たちがこの地政学の議論にかなり参加し、かつ、戦中には軍と関係したり、あるいはプロパガンダ というか宣伝活動を展開していた。