やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ビキニ水爆実験は合法

小田滋『海洋の国際法構造』(有信堂、1956)

田中則夫先生先生の海洋法の本に、公海での核実験、ビキニ島について国際法の議論があるというので手に取った。本が出版されたのが、ビキニ島核実験1954年(昭和29年)の2年後ということもあり、国際法の議論だけでなく、当時の貴重な議論が書かれており興味深かったので、メモしておきたい。

なお同書は5章に分かれており、第5章に「公海における水爆実験」として9. 水爆実験と公海制度、10. ビキニ水爆実験をめぐるマクドーガル氏の理論 が収められている。

 

9. 水爆実験と公海制度 p.225-249

ビキニの水爆実験で、漁獲物を廃棄した漁船は424隻で価格は2513万2千円だが風評被害が大きく、日本鰹鮪漁業協同組合連合会に寄れば総額20.5億円の被害。その内64.4%が魚価値下がりの被害。これに対し日本の外務大臣アメリカ大使の間で200万ドルでカタをつける合意がされた。これは法律とは関係のないex gratiaの合意である。P. 226-227

米国は1956年再びニエウェトクでの核実験を発表した。1954年のビキニ核実験に関してはイギリス、フランス、ベルギーが予防措置を要求、ソ連とインドが中止を勧告下にも拘らず信託統治委員会は実験行為の合法性を確認。P. 229

1956年の実験に関してはソ連とインドが信託統治地域での核実験の合法性を再び提案。ここで著者は信託統治の問題に入らず、日本の例を取り上げて国家責任と海洋制度の議論をすると述べる。P.230

しかし、この信託統治と核実験の問題が60年代の脱植民地宣言につながり、また太平洋島嶼国が200海里の制定にを強く主張した事にも関係してくるのであろう。

なお米国のビキニでの核実験は1946年7月には開始されている。知らなかった。広島から1年を待たずにだ。あの広島の惨事を米国人は何も感じていない、狂気の国民としか思えない。

 

同論文は米国が指定した「危険水域」と日本政府が示した「閉鎖区域」の議論が展開され、公海上の閉鎖区域の設定はどのような解釈を持っても導き出せないと主張。P. 234

次に学者の見解として安井郁教授と横田喜三郎教授の見解が批判的に紹介されている。

安井郁教授は「危険水域」設定が公海自由の原則の侵害であると主張。李承晩ラインとの類似性も指摘。これに対し小田教授は「支配という法的概念」を欠くものものであると批判している。P.238

次に横田教授の主張を紹介している。横田教授は公海の自由でビキニの核実験が自由であると同時に共同の使用であり、他国の使用も自由でそれに害を与えていけないと主張。さらにビキニ実験は信託統治地域であっても米国の領土とみなせるので厳密には公海ではない、と指摘している。P. 239-240

興味深いのが当時の新聞の論調だ。1952年3月18日の朝日も、3月17日の読売も落ち度は日本漁船にある、自業自得とまで書いているのだ。それが当時に主流な意見であったというから驚きだ。p. 241

最後に小田教授の公海の自由に関する見解が議論されている。「公海における行為が全て法的な価値評価の外におかれていると考えては」ならず、「歴史的には航海や漁業などの利益を保護」し「それを侵害するような行為が違法」であると指摘。また水爆実験の海軍艦隊の演習の比較については「他国の航海もしくは漁業の利益を妨げるような仕方ではなかった」ので違法性が問題にされなかった、と指摘。

<感想>

小田教授の主張、なんとなくわかる。が、予想される被害の評価は難しいだろうし、また事後の被害評価も簡単ではないように思う。魚価に影響があったように風評被害はどうであろう?プルトニウム輸送の危険性と石油輸送船の危険性の比較はどうであろう? ともあれ、50年代の議論では太平洋の水爆実験は合法であるという見解があった事が驚きである。冷戦が激化する頃であろうか?これがフルシチョフが靴で机を叩いた(と言われる)1960年国連総会の脱植民地化宣言につながるのだ。そして200海里の制定にも関係しているはずだ。