やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「日ソ漁業条約の成立」

「日ソ漁業条約の成立」p. 133-149

日ソ漁業条約は国際政治の分野でも論文があって一度読もうと思ったがそのままである。

小田論文がここでも、日米加北太平洋漁業条約、日中民間漁業協定に並んで、日本が締約国の公海自由の蹂躙を自ら是認したものである、と厳しい表現で批判している。

当然、当時の政治的背景、特に「ソ連の漁業規制強行の結果予想される漁船拿捕をおそれた日本政府の申し入れによって、漁業会談は開始され」「このことはソ連の国際不法行為を排除し救済するに足る外交的実力をもたない日本の悲劇である」(p. 136) との記述は、私は全てを理解できないが、敗戦国の運命であり、「外交的実力」とは軍事防衛力だけでなく経済防衛力を含む総合的実力を意味するのではないか、と想像する。

 公海自由の原則に関して小田教授の指摘はビキニ水爆実験にも共通する指摘であるが「公海上に置いて外国産泊を拿捕し、それを引致して自国法令による処罰の対象となし得ないものであることにつき確定的な内容をもつものであって、決して無制限な漁業や魚族の乱獲を保証しているものではあり得ない」p. 140 と指摘している。これは水爆実験が公海であれば許されるものではない、と言う指摘に共通している。

 EEZの概念につながる箇所として「公海における資源の維持については、その沿岸国の特殊的な利益はみとめられるべきであるとする考え方が、極めて皮相的に解釈されている事実」p. 141 と言う記述が気になる。小田教授はUNCLOSの結果をどのように評価していたのか? 小田教授は続けて「他国の犠牲の上に、沿岸国の独占利益の拡大を、いわば公海自由の否定をみとめることを、国際法理論は許してはいない。(中略)公海の独占あるいはその分割を支持すべき理由はない。」p. 142 とも書いている。 すなわち現海洋法条約のEEZの概念は国際法理論を超えてしまった、と言うことであろうか?

 この日ソ漁業条約を担当したのは河野農林大臣である。河野太郎現外相の祖父だ。その大臣が、ソ連に拿捕された日本漁船が許可証を持っていなかったため、拿捕されてもやむを得ないと発言したことを小田教授は「極めて重要な問題」と指摘する。この拿捕の時、現場に到着した日本の水産庁監視艇は、ソ連から日本漁船の引き渡し受けることはなくかえって発砲されたのだ。漁師は、水産庁職員は一体この大臣の発言をどのように感じたであろうか?

 「日本はまさにソ連の管轄権の拡大を承認することによって公海自由の否定に手をさしのべ、共通の利益であるべき海洋漁業の自由を犠牲にすることによって、ソ連の独占的利益の拡大に奉仕したものといわなければならない。」とさらに厳しい言葉で結んでいる。今に続く北方領土の問題にも関連してくるのかもしれない。