やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

現在の海洋法の原点は日本の漁業?

小田滋『海洋の国際法構造』(有信堂、1956)の第1章は公海の自由。

ここに衝撃的な数字があった。戦後日本漁船が韓国、中国、ソ連に拿捕された数だ。P. 6−7

1955年までに韓国に拿捕された日本漁船は213隻、乗組員2769名

1954年までに中共政府に拿捕された日本漁船158隻。しかも公海上である。これに対し日本政府は積極的動きを取らず「民間業者」が1954年4月「日中漁業協定」を締結し解決に当たった。

そしてソ連。1955年までに429隻の日本漁船が拿捕された。これは1909年から領海12マイルを取るロシアと領海3マイル主義の日本との長年の課題が原因だ。

確か山本草二先生の本には、拿捕された日本漁師の責任が書かれていた記憶がある。それにしても戦前もそうだったろうが戦後はさらに命懸けで日本の漁師さんは魚を取ってくれていたわけである。水産庁を水産省にという米国政府の勧告も頷ける状況だった事が理解できる。

 

次にオーストラリアが真珠貝の維持保存のための国内法令を公海までに拡張した事が書かれている。p. 8−9

 

同論文の最後で小田教授はビキニ水爆実験で被災した日本漁船に関する日本政府の対応を厳しく批判している。同書の最後に納められた「第5章公開における水爆実験」にはなかった記述だ。p. 15−16

まずex gratiaを受け取る事で米国の法的責任を追及しなかった。これが「公海制度の底にある価値体系の完全な崩壊を意味する」と手厳しい。公海の自由によって航行、漁業の最大の価値を享受していた日本は「自らその転換に手をさしのべた」とも。

まさに現在の海洋法は日本の漁業活動が、そして日本の敗戦がきっかけであったのであろう。