やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

シュタイン、マルクス・エンゲルスと迎える御代がわり(2)

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搾取論(小泉信三著『共産主義批判の常識』)

 参照した講談社学術文庫には気賀健三氏が解説を寄せている。

 気賀によれば労働価値説批判は小泉が得意とした分野で、この「搾取」という言葉が「不知不識のあいだにマルクス主義是認の空気を広げ、現資本主義を非難する感情を一般世人にゆるす誤りをおかしている…」ことを警告していることを取り上げている。

 さらに気賀はマルクス主義は科学的議論であると形容されるが実は不当な混乱を招き、論理的誤謬を含んでいると書いている。これは「科学的社会主義」「科学的国家運営(行政)」を主張したシュタイン及びその仲間達のマルクス批判にも通じる。

 ここで「搾取」という倫理的非難の意味を込めた言葉、との記述があるが、英語のexploit(ドイツ語も同じ)は「搾取」の他に「活用」「開発」「開拓」という倫理的非難を含まない意味もある。そこでこの語源を調べると元はold frenchのesploitier, espleiterで意味はcarry out, perform, accomplishがあり、1838年に初めてuse selfishly の記録が、即ち倫理的非難を含む記述が確認されている。これは多分鉱山開発との関連であろう、とのこと。以上の情報はOnline Etymology Dictionaryを参照した。個人が運営しているサイトなので信憑性は疑問であるが、この件をこれ以上調べる時間がないので確認作業は課題としたい。

 

搾取論は次の7つの節から構成されている。

  • 搾取とは何ぞ
  • 労働貨幣の実験成績
  • 労働価値説の根拠
  • 労働費用と需要
  • 労働の価値と労働需要
  • 不用意なる搾取論議
  • 労働に対する賞、功に対する報 

 「搾取とは何ぞ」では労働者の労働と、それに対する賃金の支給とは不等価なる交換であり、労働者は与えるよりも少なく受けることで利潤がある、という説は厄介な難問題があり、「不用意にこの言葉を使わない方が無事」とまで小泉は言う。(p. 155−156)この点は「不用意なる搾取論議」という節を立てて、宣伝や扇動に利用する者を制止はしないが「厳密なる学術語としては恐らく通用不可能」(p. 170)と書き、これがこの文章を書いた目的である、とのこと。

 「労働貨幣の実験成績」では商品価値と労働費用の関連を労働交換銀行の実験を紹介して議論している。生産者は生産にかかった費用と時間に対する証明券を銀行からもらいその券で銀行から自分の欲しい者を購入する。結果銀行は1年半で閉鎖となったが理由は欲しい商品が銀行にないこと、生産者が余計に労働時間を申請したことによる。ここで小泉が指摘しない問題がある。労働者は、または弱者は、もしくは途上国は「清く正しい」存在ではないことだ。また労働の意味や、お金の意味を「政治」の観点からマルクスは議論していない。お金の意味を議論しているのは例えばアマルティア・センの『自由と経済開発』があげられる。

「労働価値説の根拠」では製品の値段が需要供給の関係で決まることが説明され、生産費用は「供給の調整者」として働くだけであり、労働価値説はその意味においてのみ成立すると小泉は主張する。(p. 160−161)

「労働費用と需要」では、マルクスの説の矛盾を指摘している。すなわちマルクスは商品価値は労働量によって決まると言っておきながら、商品価値は需要供給の関係で決まり、労働量はその商品価格によって決まる、という論展開もしているのである。シュモラーがまともな学者は相手にしないと言った理由はここに見える。

「労働の価値と労働需要」ではマルクスの搾取論の矛盾をさらに追求する。搾取というのであれば、労働者の賃金は製品価値よりも低くなければならない。よって商品価格は常に労働賃金よりも上回っている必要があり、それをするには需要によって決まる商品価格と離れた価格法則が必要となってくる。(p. 167)しかし商品価値は需要によって決まるので、マルクスですら需要を超える商品があった場合労働量に相当するだけの価値は作れないと漏らしていることを指摘している。(p. 168)

 「不用意なる搾取論議」では、搾取という言葉を軽々しく使うことが再び指摘されているが、例として失業者、老人、病人などは労働をしないものが搾取されているとは言わないし、彼らを支援する責任があることを指摘する。また社会に貧しい人がいるのはお金持ちが搾取している結果だ、との知識人による資本主義批判も取り上げ「搾取」が不用意に使用されていることを指摘する。ここでマルクスは経済だけを語り政治を無視し、ホッブスは政治だけを語り経済を無視した事を指摘するIstvan Hontが後述するSiclovanの博士論文に引用されていることを思い起こす。(p. 23)

最後の「労働に対する賞、功に対する報」では資本主義社会アメリカと社会主義のソ連の報酬格差がどちらも1対50で同じであることをあげ、格差は労働量の差ではなく「功」によって報いられることが説明されてる。そしてそれは搾取理論の根拠となった労働価値説とは正反対の議論であると指摘する。

 

労働とは何か?お金だけが労働の評価指標か?人間は何のために働くのか?と言った議論がマルクスにはないし、小泉もしていない事が気になった。