やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

東北紀行(盛岡篇4)sponsored by 吉野作造

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 IPR-太平洋問題調査会をインド太平洋研究会で扱っておきながら盛岡城のトーテムポールを忘れていました。東北紀行盛岡篇4つ目の写真です。

 盛岡城にあるトーテムポール。これは新渡戸がどのように亡くなったか知らなければ見過ごしていたに違いない。カナダ、ビクトリア州はそれほどまでに新渡戸に国際社会における意味を、ある意味日本以上に知っているのであろう。

 日米関係が最悪になり、「日本を滅ぼすのは軍閥か共産党」とオフレコで話した言葉が新聞に掲載され命を狙われた新渡戸が、1933年IPR-太平洋問題調査会総会が開催されたカナダでの会議に参加しそのままその地で亡くなったのだ。

 植民者、植民学教育者、であった新渡戸が一番心を砕いたのは植民地の先住民のことである。植民といえば現地人に対する搾取、虐待と思い込んでいる人も多くが、後藤、新渡戸、矢内原らの植民政策は現地人の福祉教育、それを支える現地文化の理解であった。柳田國男を生んだのは新渡戸であった。

 だからこのカナダのトーテムポールは新渡戸の植民政策の意味を汲み取った贈り物であるとも言える。

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