epistemplogyが覚えられず、 海老捨てモロジー で覚えた。
インテリジェンスの基本。認識論。
これは博論書いている時にメソドロジーの一環で学びました。同時に相国寺で悟りました。
群盲象をなでる。
あれを勘違いしている人は多いのではないか?以下のように。
「自分が知っているのはごく一部。全体を知る努力しないと行けない。」
違う!
「自分の認識は限定されている。そこでどのような条件で認識しているかを認識する事。」
例えば象のしっぽを触って「細くて長い」と応えた人。
自分は目が見えない。手の感触は経験がある。誰かによって突然連れて来られた。
その情報を認識するために自分がどのような条件下にいるかを観察するのだ。
自分が物事をどのように認識しているか、客観的に観察する能力が重要。
アリストテレスの論法。演繹、帰納は知ってるよね。でも意識して使った事はないと思う。
演繹 - deduction - anagoge、
帰納 - induction - epagögé、
発想法 - abduction or retroduction - apagögé
例えば植民は悪い事だと多くのひとが思い込んでいると思う。それはどのように認識したの?私の場合は自虐史観の中で植え付けられていた。ところが一次資料を読み始めると全く違う事に気づいた。
何かを判断する時、自分はどの情報を根拠としていたのか?さらにその情報は何を根拠としているのか?新聞に書いてあったから正しいと判断した?大学の教授が書いているから正しい?なぜ自分はその情報を鵜呑みにしたの?複数の情報にあたった?
最後のアパゴーゲーはアリストテレスが議論していたにも拘らず、19世紀のチャールズ・パースによって始めて取り上げられた。良く例に出されるのが、ニュートンのリンゴ。
リンゴが木から落ちるのは皆しっている。関連の科学的データも当時多くの人が知っていた。でもニュートンだけが万有引力を思いついた。これが発想、直感、aha理論。結構これを使っていると思う。は!と何が気がついた時。点と点が結ばれた瞬間。
自分が物事をどのように認識しているか意識してみよう。