やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『インド太平洋開拓史』著者の正体は暴かれたか?

f:id:yashinominews:20200927132129j:plain

 『インド太平洋開拓史』は100頁弱の貧弱な本であるが、今まで自分の存在を表に出さないようにして来た中で、自分の名前を前面に出した本だ。ご迷惑であろうと思いつつも恩師、渡辺昭夫東大名誉教授に感謝と共に捧げさせていただいた。

 私が渡辺先生にお会いしたのは1997年である。勿論それ以前からご著書を拝見させていただいていた。甘ったるい平和論が多い太平洋島嶼国の学術書の中で渡辺先生のご研究は違っていることを、太平洋島嶼国や英米豪NZ政府・大学等、現場でやり取りしていた20代の私は生意気にも感じていた。

 太平洋島嶼国はハイポリティクスな場所なのだ。国際政治を勉強したく青学にいらした渡辺先生の門を叩いた。2つ目の修論である。一つ目の修士は教育学だ。

 四半世紀、渡辺先生には公私共々お世話になってきたが、大平首相の環太平洋連帯研究グループで太平洋島嶼国を担当された渡辺先生との出会いがなければ安倍政権のインド太平洋構想に私がアドバイスをすることもなかったのである。それはちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないが、私は渡辺先生から、学問的知識を超えた哲学、人生、世界観を太平洋の島々を通して学ぶ機会をいただいたのだ。それこそ本来の学問なのかもしれない。

 そんな渡辺先生から「ご参考まで」とご連絡をいただいた。「急ぎ足の読書術」と題する5ページほどの奥深い文章である。先生にお礼と共に返事を書こうと思ったが公開でここに書かせていただく。

 

 政治学者、升味準之輔の言説を引用しながら、歴史は如何に書くのかということが書かれている。この文章を公開していいのかわからないので部分的に引用するが、認識論、epistemologyの議論なのである。 私は一つ目の博論(英文)を書くときに、KJ 法で「自由」に関するヒアリングの情報を整理した。その際取り組んだ論理である。論文のmethodologyの部分でKJ法を2−3頁で説明した。ところが「もっときちんと書け」と指導教官からのコメントがあった。調べるとKJ法はチャールズ・パースのアブダクションという認識論とアリストテレスのアパゴーゲーが出て来て、一瞬目の前が真っ暗になったのを覚えている。腹を括って半年論文の提出時期を伸ばしepistemologyの議論に取り組んだ。それだけでも博論になりそうな興味深いテーマであった。

 升味準之輔の議論を読みなが思い出したのがepistemologyの議論で取り上げた「羅生門効果」である。黒澤明の映画「羅生門」は日本より海外での評価が高かった。同じく「羅生門」のストーリー展開は認識論として海外で学問的に取り上げられているのだ。

 映画「羅生門」の軸となるストーリーは芥川龍之介の「藪の中」である。誘拐殺人事件に関わった数名の男女(殺された霊も)の証言で構成された物語だ。一つの事件が立場によって全く違う認識で語られるのである。これを民族学に応用したのがKarl G. Heiderの‘The Rashomon Effect: When Ethnographers Disagree’. Heiderはロックフェラーファミリーのマイケルとパプアニューギニアを訪れた民族学者だ。マイケル・ロックフェラーはパプアニューギニアで行方不明となった。民族学者が同じ事象を観察しても全く違う論文を書き、全く違う意見を述べる理由が羅生門のストーリーを応用して説明されている。これが升味準之輔の歴史の書き方の言説に重なった。

 

f:id:yashinominews:20200927131832j:plain

前列左から2人が Karl HeiderMichael Rockefeller: 
https://www.peabody.harvard.edu/node/2098 より 

 歴史と歴史家の対話が歴史を書くことなのだろうが、その書かれた文章に歴史家の正体が現れる、というのだ。

 私は歴史家ではありません。今度本の題名に「開拓史」とありますが歴史を書くつもりはなかった。最初のタイトルは「赤く染まる太平洋」だったのだが編集者が「インド太平洋」を提案してきた。確かにインド太平洋とは何か?を手短に、実務で忙しい、私に色々聞いてくる各省庁の担当者が気楽に学ぶテキストを書きたかったのだが、書いているうちに数万年のインド太平洋の歴史を書いていることに気がついた、というのが本音である。

 意図せずインド太平洋の歴史を書いてしまい、私の正体が思いっきり出ているのかもしれないと思うとぞっとするが、アマゾンの「その他の歴史」のカレゴリーでベストセラー一桁台を数週間維持していることは、私の本性もそれほどひどいものではないのかもしれない、と少しだけ安心している。