やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ハンナ・アレント『革命について』 — 読書メモ

f:id:yashinominews:20191113081458j:plain  今まで書いてきたメモを整理しました。

 

1 ハンナ・アレント『革命について』を読む動機

2 「あとがき」「解説」

3 「序章」

4 一章 革命の意味

5 三章 幸福の追求

6 感想

 

 

1 ハンナ・アレント 『革命について』を読む動機

 

 当方の博士論文の理論枠組として選んだ「自決権」の歴史的背景をフランス革命あたりから書くべきか、そうであればアメリカ革命も表面的だけでも触れるべきか。書かないとしても少なくとも知っておくべき事項であると反省し、さらにそもそもアメリカ史を知らない、と改めて反省していた。

 修士学生を対象とした阿川尚之教授の2019年春期ゼミを聴講したが、アメリカ史ではなくアメリカ思想の背景にあるヨーロッパの自由思想を学ぶということでマルクスから開始。「共産主義の幽霊」とはローレンツ・フォン・シュタインが最初に書いたことを授業中に述べたところ、阿川教授からシュタインについて発表せよとご提案いただいた。

 ローレンツ・フォン・シュタインはいつかゆっくり読んでみたいと思っていたので、腹をくくって2019年5月のゴールデンウィークの10日間研究室に篭った。シュタイン研究概要だけでも概観できたと思う。シュタインは社会主義と共産主義をドイツに、マルクスに紹介し、フランス革命を批判し、国家社会主義を理論化し、それを明治の日本の指導者たちに教えたのだ。伊藤博文だけでなく、明治天皇はわざわざ侍従藤波言忠をウィーンに派遣し学ばせて帰国後早々に33回に渡る講義をさせている。シュタインは日本での活躍とは裏腹に欧州ではマルクスの陰に隠れ、またナチスや日本の軍閥にその理論が悪用された背景もあって今はそれほど知られていない。シュタインはフランス革命を、ルソーを酷く批判している。アメリカ革命について書いた文章は読んだことはないが、4年ごとに変わる大統領制の政治的不安定さを指摘している。

 

 この夏休みは本来学びたかった米国史について阿川教授の『憲法で読むアメリカ史』を上下巻を拝読した。アメリカ革命とフランス革命は全く別物なのだ、と驚いた。米国はフランス革命の惨状を見て「外国人煽動取締法」まで作ってまでフランス革命思想を否定したのだ。

 阿川教授にフランス革命とアメリカ革命の違いを議論した本をご教示いただけないか伺ったところ秋学期にまさにそのことを議論しているハンナ・アレントの『革命について』を読む予定であるとの回答を頂いた。

 早速、ちくま学芸文庫を早速購入。私事で秋期は授業には出られないので、読書メモをまとめた。9月に一度読み出したのだがヤップの米国人殺害事件やバヌアツのジャーナリストの友人が国外追放になり、微力ながら応援していたので集中して読む時間を失ってしまった。11月に入って再度読み始めたが難解で、結局現時点までで読めたのは「あとがき」「解説」と「序章」、「第一章」、と「第三章」だけである。「第一章」と「第三章」はまとめることもできず、興味のあった箇所を書き出しただけである。それでもメモをとりながら読むとわからないなりに身につくように思うので他の章も諦めずに読み進めたい。

(参照したのはちくま学芸文庫 2019年)

 

2 「あとがき」「解説」

 ハンナ・アレントは1959年プリンストン大学のセミナーで「合衆国と革命精神」と言うテーマを与えられた。『革命について』はこのセミナーをまとめ1962年に出版。1962年はケネディ大統領誕生翌年で、キューバ危機の年。そして翌年1963年、ケネディを暗殺した米国をアレントはどう思ったであろう?

 まずは訳者の志水速雄の「あとがき」と川崎修氏の「解説」をまとめる。

 下記のウィキ情報しか入手できなかったが翻訳者の志水速雄氏は50歳の短い、しかしかなり太い人生を歩まれた方のようだ。1960年の安保闘争指導者で巣鴨にも拘留された。その後思想的転向をし最終的に対ソ警戒論を論じるまでになる。この『革命について』の和訳本が最初に出たのが1968年。志水氏がアレントを和訳したのは思想の整理をしている最中かもしれない。

 

志水 速雄(しみず はやお、1935年9月15日 - 1985年3月24日)は、日本政治学者。専門は、ロシア政治論。1960年の安保闘争時に全学連国際部長を務め、筋金入りの闘士だった。巣鴨を出たあとは清水幾太郎(当時、学習院大学教授)の現代思想研究会に入ったが思想上の整理がつけられず、明治大学大学院で5年間、ソ連問題と政治学を研究。(ウィキより)

 

 「解説」を書かれた川崎氏はアレントの研究者だ。以下もウィキ情報である。実は数年前ハンナ・アレントの映画を観たので彼女のことは少し関心があった。

川崎 修(かわさき おさむ、1958年 - )は、日本の政治学者立教大学法学部政治学科教授.元法学部長。専門は政治思想史ハンナ・アーレントの研究で知られる。

 

 訳者の速水氏は 1968年にこの本を翻訳しているが出版社の都合で絶版になっていたと書いている。アレントの『人間の条件』も速水氏が1973年に翻訳。アレントのことを「特異な政治哲学者」と形容している。

 この本はフランス革命が失敗で、アメリカ革命が成功であると主張する根拠の説明である、と分析している。そしてアメリカの成功は権力の抑圧を回避するための消極的な自由(liberty)ではなく、権力に加わる積極的自由(Freedom)である、と。そしてフランス革命が失敗に終わったのは目的が自由の構成から貧者救済の社会問題に転換したことを理由に挙げている。 

 アメリカは革命以前から豊かな国であったのだ。よって社会問題よりも自由体制作りに努力を集中できた。速水氏は、アレントが一切触れないアジアの例を出して革命がいずれも自由の抑圧に終わっていることを問題提議し、「アカデミック」な解はない、と書いているところが印象に残った。というかここは私と似通った問題意識である。しかし私はアカデミックな解はあると思っている。さらに速水氏は革命の中で生まれた「小共和国」がどれも短命で終わっていることを「あとがき」の最後で議論さしているが、まさにこれが私の研究課題の小島嶼国の存在意義の問題である。

 次にアレント研究者の川崎氏の解説。この解説は私のような異分野の読者には難解である。何を言っているかほとんどわからなかった。

 私のルソー、マルクス、シュタインあたりの表層的理解だと、要は平等や自由のために暴力を許すか許さないか?伝統を壊すか守るかで(その時の伝統は変化を受け入れるという伝統も含む)はないか、と考えている。そう考えれば米国は100年以上の植民の歴史を基盤とした豊かな社会(インディアン虐殺、黒人奴隷のことは置いて)を守るための革命であったのに対しフランス革命は伝統を破壊した勢力は守る規範、社会がなかったのではないか?そこに現れたのは社会の貧困だけ。貴族、ブルジョアを殺し富みを奪っても貧困問題は解決しない。即ち社会は成立しない。

 

3 「序章」

 それでは本文の「序章」に入る。この章は2度読んだが、やはり難解である。 本書テーマの革命について戦争と対比しながら議論される章、と理解した。 

 まずは歴史を紐解いて、「暴政に対する自由という大義名分」が語られる。しかし革命は近代以降の政治的動きで、革命から自由への希求は簡単に捨てられ、戦争目的が自由であった事は稀である。(東亜の解放は?)

 次に正しい戦争の議論に移る。限られた「ポリスの城壁の中」では正常な政治活動は暴力に屈しないのだが、その外では強者は欲しいままに振るまったのだ。正しい戦争の概念はあっても自由を目的とはしていなかったし、侵略と防衛戦争の境も曖昧だった。

 自由が戦争問題に取り上げられるようになったのは近代的戦争へのレトリック(アレントは正当化できなくなった事柄を正当化するため、と書いている)

 次に正当化すべき戦争がなくなって行く理由を4つあげている。

1 総力戦、

2 敗戦後の国家存続は不可能(日本は?)

3 抑止戦略ーここで冷戦を義論し、ヒロシマ(速水氏はカタカナを使用している)で原子力投下の是非をアレントが議論しているのが興味深い。

4 戦争が革命になって行く。両者は暴力の使用という点で共通するが革命は法律に沈黙する点で異なる。

 最後に聖書を引用して革命の始まりを自然状態と結びつけて議論している。カインがアベルを殺すこと。暴力がはじまりであった、と。 

 

4 一章 革命の意味

 一章は5節にわかれている。難解な文章で読むのに3日間かかってしまった。まとめるだけの能力が当方にないので、気になった箇所を書き出しておくに留める。

 

1節 <前半はアメリカ革命を中心に、後半はキリスト教を中心に書いている。>

30頁 革命の舞台を作ったのはアダムスミスとロック。新世界の植民地の豊かさが、財産なき貧者の労働こそが富みの源泉であるという理論を構築。

30−31・32頁 アメリカがフランス革命に与えた影響は、人権宣言や革命ではなく、その富み、豊かさである。

31頁 主権という言葉の起源が。ジャン・ボダンが国家主権の至上権をmajestasと、そしてsonverainete に翻訳した。分割されない集権化した権力で王権と共に長年あった。

33頁 近代革命の起源はキリスト教にある。当り前の議論なのだそうだ。

34頁 キリスト教が公的権力を軽蔑し神の前の魂の平等、天国を約束している点など。

36頁 キリスト教哲学は古代の時間概念と手を切った。

 

2節

39頁 解放=liberation と自由=freedom の違いが議論されている。解放という観念はネガティブである、と。

41頁 平等自由は、市民になることによって受け取るもの。自然によって与えられたものではなく、法律であり、約束であり、人工的であり、人間の努力の結果。アレントは議論していないが「義務」という観念が権利・平等・自由を語る時に忘れられているように思う。

43ー44頁  革命が自由と解放に関係して来たやっかいさ。解放の自由は専制君主では得られなくとも君主制では得られる。freedomは政治体制、即ち共和国体制を必要とした。しかし共和制か王制か当時の原理場の争いを革命史家は無視してきた。

47頁 革命は変化だけでも、暴力だけでも説明できない。それは新しい始まりであり、暴力により新しい統治形態、自由を目指した抑圧からの解放、が必要。

 

3節 

50頁 マキャベリは18世紀の、即ちフランス革命の主導者と似ていたが、ロベスピエールはマキャベリを引用している。

51頁 マキャベリ(1469−1527)が追求したのはルネサンス文化全体の政治的側面。フランス革命主導者は過去に目を向けなかった。 

54頁 rebellion, revoltという言葉に革命の解放の意味はない。新しい自由の樹立も含んでいない。

 

4節

57頁 revolutionという言葉は天文学用語でコペルニクスの天体の回転の意味。De revolutionibus orbium coelestium 周期的で規則的な回転運動の事。

58−59頁 回転しながら戻る運動、という意味ではクロムウェルのではなく、1660年の王政復古を、また1688年の名誉革命を「革命」と呼んだのである。

60頁 フランス革命とアメリカ革命は絶対君主制、植民地政府の権力濫用によって侵害された古い秩序を取り戻すことが目的だった。

61頁 ベンジャミン・フランクリンは米国の人はだれもイギリスから分離したいと言っていなかった事を書いている。

62頁 バークは習慣と歴史に守られたイギリス人の権利を守り、人間の権利に反対した。人権宣言は過去に居場所はなかった。人間の平等はキリスト教ではなくローマに起源がある。 

 

5節

65頁 revolution の天文学として用語が革命に変わったのは1789年7月14日。

66頁 王は反乱と言い、リアンクール(who?)は「いいえ陛下、これは革命です。」と。

67ー68頁 ロベスピエールによれば「暴君の犯罪」と「自由の進歩」の両極が速度を増し、高まり、暴力の流れに。

69頁 この頁でアレントが展開している革命者の身の変わりようは面白い。彼らは:過去に王党派だった。過去に私有財産権の擁護者だった。地方分権を一旦は進めそれを捨て過去にもなかったような中央集権を樹立した。戦争をして勝利した(ここは自決権が隣国の侵略であった、というカッセーゼの話だろう。)

70頁 ここも印象的だ。フランス革命以来、革命は永久に続いている。ロシア革命もそうであろう。訳者の速水氏はこの箇所をどのように解釈したであろう。

74−76頁 ヘーゲルが語られているが、わからない。ヘーゲルが全然私にはわからない。

76頁 世界を火の中に投じたのはアメリカ革命ではなくフランス革命だった。マクロン首相は何と言うか?

77頁 ここは心に突き刺さる。アレントは「痛ましい事実であるが」と前置きしフランス革命が世界史を作り、アメリカ革命は局地的なものに終わった、と。

79頁 10月革命を取り上げ、内部の強制するイデオロギーと、外部の強制するテロルがボリシェビキ革命下にあり云々、とここは(も)難しいがなんとなく言いたい事がわかる。

80頁 ロシア革命の話が続くが、例として革命は穏健派と過激派に分裂し、中道派が即ちロベスピエールが粛清を行う事になる。それは歴史であって活動ではない。(この最後の文章もなんとなくわかるのだが、難しい。)

最後の文章はその歴史に従う滑稽さを書いている。英語の原文を書いておきたい。なんとなく重要な箇所のような気がする。1960年の安保闘争時に全学連国際部長だった翻訳者の志水氏はアレントから“the fools of history”と自分が言われたと受け止めた、のではないか。

There is some grandiose ludicrousness in the spectacle of these men – who had dared to defy all powers that be and to challenge all authorities on earth, whose courage was beyond the shadow of a doubt – submitting, often from one day to the other, humbly and without so much as a cry outrage, to the call of historical necessity, no matter how foolish and incongruous the outward appearance of this necessity must have appeared to them. They were fooled, not because the words of Danton and Vergniaud, of Robespier and Saint-Just, and of all the others still rang in their ears; they were fooled by history, and they have become the fools of history.

 

5 三章 幸福の追求

 かなりボリュームのある二章の「社会問題」をスキップして、三章の「幸福の追求」を読んだ。面白いと思えるのだがまとめることはできない。やはり難しい。一章と同様印象に残った箇所だけ、メモしておきたい。

 

177頁 貧困から解放、平等のために暴力を使って良い、としたのはルソー。しかし革命がなかった国、革命に失敗した国の方が自由を満喫している。

179頁 フランス革命の舞台に貧民が登場するとは誰も予想していなかった。

179−180頁 ヨーロッパは、王の権威も自由の栄光も失っていた。

181頁 フランス革命とアメリカ革命の共通点は「公的自由に対する情熱的関心」

182−183頁 アメリカではフランスが言う公的幸福を公的幸福と言いかえ、公的な活動をすることで幸福を得ることを知っていた。ジョン・アダムズの言う「卓越への情熱」「張り合い」「野望」「政治的人間の主要な徳であり悪徳」(ボランティア活動って幸福感確かにある。)

184−185頁 アメリカに比べフランス革命は著しく理論的なものだった。しかし革命後数ヶ月、人民の声を神の声と陶酔したロベスピエールが現れた。フランスにデモクラシーという人民による支配を強調した言葉が現れたのは1794年以降。国王処刑の時も「共和国万歳」すなわち客観的な公的概念を維持していた。

186頁 革命は18正規の政治学の規範や真実とは関係なかった。他方アメリカ建国の父たちは政治理論に熱心で、いささか滑稽と思えるほど博識のために革命は成功した。ジョン・アダムズの著作は切手収集のように古代近代の記述を引用しているだけ。(ここはすごく納得できた。コモンセンスやザ・フェデラリスト位しか読んでいないが、あの軽薄さはなんだろう、と思っていた。)

190頁 ここも難しいが非常に重要な議論のような気がする。彼ら(とは仏米革命の主導者たちだと思うが)は新しい公的自由を指して「自由」と言った。それはアウグスチヌス以来の哲学者が知っていた自由とは違って、自由は公的にのみ存在することができた。

192頁 フランスと米国革命の違いとして憲法制定のことが書かれている。フランスは人民を無視して憲法を制定した。よって建国の父、となることはなかった。彼らは憲法制定が娯楽となった世代の先祖であった。

193−195頁 ここの自由論も重要だと思う。ジェファーソンは独立宣言の中で「生命、リバティ、財産」を「生命、リバティ、幸福の追求」と言い換えた。ジェファーソンは「公的幸福」とは言わなかった。アレントの議論は複雑なのだが、「公的幸福」がアメリカ革命以前、すなわち米国に移民した時から目標とされていた。そして私的幸福だけでは全員が共に幸福であることはあり得ないことを人々が知っていた。

204頁 革命は永遠であるというロベスピエールの理論は、公的自由が革命の終わりによって終わってしまう、ということ。すなわち米国が革命によって市民的権利を縮小させなかった、すなわち革命の創設者が支配者となったため「彼らのいう」公的幸福の終わりを意味しなかった。

210−211頁 アメリカはヨーロッパの長引く貧困という必要を克服する地であった。アメリカは自由の創設に先行して貧困からの解放が成功した。しかし、大量の移民は自由の創設とは違う貧困から生まれた理想の下に委ねられた。それは豊かさと際限のない消費は貧民の理想、であり、豊かさと貧困は同じ硬貨の両面である。(この部分は私が米国に感じていることだ。あの浅はかな豊かさは何なのだろう?といつも思っていた。)「突然の富を求める破壊的情熱」これは多くのアメリカ文学『華麗なるギャツビー』などを見るとアメリカの豊かさの隣にある貧困をいつも感じていた。

さらにアレントはアメリカの夢は自由の創設でも、人間の解放でもなく、ミルクと蜜の流れる「約束の地」であった、とも表現している。

212−213頁 ここも重要な気がする。公的幸福より家族の幸福が優先される。リベラリズムという混乱した観念が公的徳は野心でしかない、虚栄であると避難され個人の自由が追求されて行くことになる。

 

6 感想

 私が博論でアレントを引用するとすれば、その奥深い議論に触れることは避けたい。私自身が全く理解できないからだ。引用するとそれば表層的な範囲になるであろう。即ち自決権の歴史的議論の中で、自決権が国家の独立を意味することになったフランス革命とアメリカ革命が全く違う内容であること。そして前者が貧困を政治の舞台に呼び出しながら対応できなかったこと。他方後者は革命以前にヨーロッパの貧困の問題を解決していたこと。フランス革命の暴力は脱植民地を叫ぶロシア革命、レーニンにつながって行き、戦後の小国の独立だけでなく、昨日(2019年11月23日)から開始したブーゲンビルの住民投票の動きも含む、国際法の自決権が貧困や社会問題の解決につながる訳でない事が、少なくとも説明できる。