やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

後藤新平の植民政策(9)

 

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 中村哲氏の解題が掲載されている『「日本植民政策一班」「日本膨脹論」』は日本評論社から戦争のまっただ中の昭和19年12月に出版されている。

 中村哲氏の「序」の日付は昭和19年9月1日。その下には「台湾同胞徴兵制実施の日にあたって」とある。一体中村哲とは何者か?なんのために後藤新平の植民論をこの日に復刻したのか?

 ウィキにあまり情報量は少ないが中村哲氏の事が掲載されている。

 日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。とある。そして戦前は「八紘一宇の東亜政治の理想をその内在的な理念とする戦争論が樹立されねばならない」(昭和十七年二月『改造』誌掲載「民族戦争と強力政治」)と叫びんでおきながら、戦後左派の論客となった、とある。

 何故彼があの時期に後藤新平を?謎は深まるばかりだが、幸いウェブ上で國分直一著「中村哲先生と『民俗台湾』の運動」((沖縄文化研究 16, 35-51, 1990-03-20 法政大学)を読む事ができた。これで中村哲氏が何者か、なぜ後藤新平か、理解する事ができた。

https://ci.nii.ac.jp/els/contents110004641932.pdf?id=ART0007358173

 

 考古学者の國分直一氏も憲法学者の中村哲氏も台湾の大学で指導的立場にあった。「中村哲先生と『民俗台湾』の運動」には昭和16年7月に國分が創刊した『民俗台湾』が、日本帝国主義の南進の基地とされた台湾の多民族世界を皇民化運動から密かに守る事が目的であったことが書かれている。中村哲もこの『民俗台湾』に積極的に参加していたのだ。

 後藤新平の植民政策と近衛文麿、蝋山政道あたりの植民政策は180度違うのだ。新渡戸の植民政策学を継いだ矢内原を東大から追い出した後の日本の植民政策は大きく歪んで、西洋式になってしまったのではないか?中村哲氏はその事を示すためにこの本を復刻したのだ、と理解できるようになった。

 当時、即ち戦争に入る頃既に後藤新平の植民論は忘れ去られていたのだ。日本の植民の第一歩だったにも拘らず!そして今でも誰も顧みていない。