やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

<読後感想>「第二次世界大戦前における「植民地」言説巡る一考察」木村幹著 

植民政策に関して、矢内原忠雄が南洋群島の研究を書いているので気になってはいた。「植民」を考え直すきっかけは李登輝の本だったかもしれない。李登輝氏は矢内原の師匠である新渡戸、そして新渡戸の師匠である後藤新平の植民政策を褒めていた。半信半疑のまま新渡戸、後藤を中心にここ4、5年植民に関する論文を読んできた。

韓国の問題は知らないし、感情論が多く近寄りたくないという気持ちが強いのだが、専門とする太平洋島嶼国がマネロンや瀬取船などで韓国、北朝鮮との関係が、実は以前からあり知らないでは済まされない状況。神戸大学の木村幹教授のツイッターをフォローだけはしていた。

その木村教授が「第二次世界大戦前における「植民地」言説巡る一考察」という論文を発表し、希望者には送るとあったので、速攻で希望したら送っていただけた。この場をお借りしてお礼申し上げます。

学問としての植民論が手薄なのである。植民学会とか、植民に関するシリーズはあるのだが「植民」=悪 という前提の、とても学術研究とは思えないレベルの論文(?)ばかりなのだ。それで半分期待し木村論文のページを捲った。

なんと初頭に引用されているのが、高橋洋一氏の誤解と偏見に満ちた例の「合併と植民は違います」という無責任かついい加減な主張である。私は虎8で偶々見て、ツイッターで抗議した。明治以降、日本の植民政策を構築してきた矢内原、新渡戸、後藤があまりにも気の毒だ!

まともな学者であれば「植民」に関する定義を、先行研究で拾いながら整理し、これこれこういうわけで「合併と植民は違います」と書くものである。

木村論文では第二章でその議論がされている。合併とは植民の一形態である。なぜ矢内原が「1942年」に新渡戸の植民政策論を出版したのか、そんな事をさえ高橋氏は知らない。欲を言えば、後藤、新渡戸、矢内原が参考にしたアダム・スミスの植民論(国富論で議論されている)やそれを実現しようとしたラッフルズの話も触れてもらえたら、と思った。

3、4、5章では朝鮮での「植民地」言説を巡る詳細な資料研究に基づく議論が展開されている。1920年が界なのである。1920年はウィルソン、レーニンが「自決権」を叫び「非併合」を主張し第一次世界大戦後の世界秩序を混乱に陥れた時期だ。その一つが「委任統治」という制度である。これも植民の一形態である。ウィルソン、レーニンがアジア・アフリカの自決権を考慮していないばかりか、その後米ソがどのような歴史を辿ったかは周知の件。

誰が植民が悪い事と言い出したのか?例が上がっているのが京城日報社、西疇子の主張。多分ジャーナリストなんだと思う。植民政策専門家ではない人物の主張だ。植民地という言葉は「不都合なる呼称」である、という。これに呼応したのが南次郎などの軍人。その後「植民地」という言葉が避けられて朝鮮を「外地」と呼ぶようになり、所謂植民政策の一つである同化政策として「内鮮一体」を推進していく。

韓国音痴の私が「南次郎」の名前を偶々知ったのは大分県と海洋の関係を研究している下川正晴氏のFBからだ。大分県出身の陸軍大将の南次郎朝鮮総督。彼の「皇国臣民化」一直線だった植民政策を反面教師とした長谷川清台湾総督は、後藤が進めた「科学」「学問」としての植民政策を知っていたはずである。

すなわち、1920年以降、日本の行き過ぎた(間違った、科学性のない、海の生命線などと戯けごとを言い出した)植民政策は、科学的議論が皆無の素人達によるイデオロギーとなった植民地、植民政策の誤解から、訳のわからない皇民化教育とか皇軍という、悪魔の道を辿ることになったのだ。

高橋洋一氏などの「植民地」に関する無知と誤解は、同じく無知と誤解によって勧められた非人道的、人権も文化も無視した日本軍人他による「内鮮一体」「皇国臣民化」の過ちと、一致してるのだ。

 

新渡戸は1933年にカナダで客死し、軍部を批判した矢内原は1937年に東大を追われている。「植民」に対する無知と誤解が日本を奈落の底に追いやった。その反省は、高橋氏の言動を見る限り全くない。