サモアの首相選が荒れている。
30年にわたって一人の人物が一国の道を仕切ってきた。
トゥイラエパ・サイレレ・マリエレガオイ閣下である。1991年から1998年が副首相。1998年から今年2021年まで首相を務めた。その政治キャリアはウィキの英語版を参考にしてみよう。しかし問題は中国との関係を強めた事なのだ。
そのサイレレ政権に終止符が打たれようとしている。かなり政治的混乱を招く形で。。
少しずつ紹介していきたい。
トゥイラエパは、Va'ai KoloneとTupuaの連立政権の後、人権擁護党が政権に復帰した後、Tofilau Eti Alesanaの下で副首相兼財務大臣を務める。
トフィラウが首相を辞めた後、しばらくの間、首相と財務大臣を兼任。
2001年の選挙でHRPPを率いて1期目を追加した後の内閣改造で、トゥイラエパは財務大臣のポストをミサ・テレフォニ・レツラフに譲り、新たに副首相にも就任。
トゥイラエパは、前任者の死去に伴い、1980年にレパ地区の代表選挙に初当選。
それ以来、レパ地区で再選。
1991年と1996年のトフィラウ政権では財務大臣を。
1991年には副首相に就任。
1998年、トフィラウ氏は健康上の理由で国会議員を引退。
トゥイラエパが第6代サモア首相に就任した。2001年、2006年、2011年、2016年の総選挙では、HRPP党を率いて再選を果たしている。
2012年、トゥイラエパは、前任者であるトフィラウ・エティ・アレサナの在任期間を超え、サモアで最も長く首相を務めた。
2021年現在、トゥイラエパ氏はカンボジアのフン・セン氏に次いで世界で2番目に長く現職首相を務めている。
独領であったサモアは第一次世界大戦以降、ニュージーランドの委任統治領となり、第二次世界大戦後は同じくニュージーランドの信託統治領をなった。
1962年、国連の1514決議「植民地独立付与宣言」を受け太平洋の中で最初に独立を成し得た国である。と言っても人口は20万に満たず、ニュージーランドとの友好協定を締結している。
次回はこの協定の話を中心に・・・