数年前にこの本を読んだ時、植民地からの解放と独立を支えた日本軍と、残虐な行為をした日本軍の極端な2面性が理解でき、そのことだけが印象に残っていた。違う人物であり、違う時間(戦況)があったのだ。
レブラ著『東南アジアの解放と日本の遺産』を再読しているが、インド、ビルマとも日本軍が支援した現地のリーダーは共産主義者だった。なぜ最初に読んだ時に記憶に残らなかったのであろう?
2章3章と読み進み、4章はインドネシアだ。まさかインドネシアも?
スカルノは1920年に創設されたインドネシア共産党に入党はしなかったものの、共産主義の、マルクスの思想を支持していたのだそうだ。このインドネシア共産党はインドネシアにいたオランダ人左派が動いた結果らしい。ここはウィキ情報なので確実ではない。
インドネシアも、インド、ビルマと同じ、アラビアのロレンスに憧れた理想主義と浪漫を夢見た日本軍人、今村均が出て来る。しかし、日本に統一した対アジア政策がなかったことと、インド、ビルマには数人いた地域専門家が皆無だったことが指摘されている。
今村がインドネシアに温情的で同情的であったことが書かれている。(121ページ)今村が村の長老に言った言葉が紹介されている。
「日本国民の祖先は、舟でこの島から日本に到着しました。あなたがたと日本人は兄弟である。われらは、あなた方の自由の再獲得のためにオランダと戦ったのです。」
レブラ博士はこのコメントの前半を作り話と思っているのではないか?しかし、当時日本人マレー説はかなり広く語られていたはずで、オーストロネシア語族と日本人の関係は、DNA 研究が進んだ最近、新たに証明されたのである。今村均陸軍大将は人類学をどこかで学んでいたのであろう。ちなみに、オーストロネシア語族の出立点は台湾です。
<追記>
西嶋重忠の存在を教えてくくださる方がいました。こうやって書くことで情報が集まる。一銭にもならなけど、一銭もいらない知的活動ってイイなあ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sea1971/1992/21/1992_21_202/_pdf