やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

清瀬弁護人が弁護した<東亜の解放>の真実

前のブログで、矢内原、蠟山の植民地議論を若干知っている当方としては、東京裁判での清瀬弁護人による<東亜の解放>の弁護がかなり厳しいものであと書いた。

矢内原と同じ新渡戸の生徒である芦田均の『第二次世界大戦外交史』に「第35章大東亜共栄圏の構想と実態」がある。唸ってしまう内容だ。芦田は植民政策学者であった新渡戸の教えを隅の隅まで、また外務官僚として英米の動きも知っていたはずだ。即ちここに書かれている事は、かなり信用できる内容、ではないだろうか?

時間がない人は、35章の「1 思想的背景」だけでも目を通しておく方がいい。6頁だけである。

ここに、情緒的反西洋主義が主観主義に陥り、始末に負えない傲慢と冷徹に転化しやすいと指摘されている。(この傾向、今でもネトウヨと知ったかオジさん、オバさん観察できる)そしてこれが東亜各地に駐屯した日本軍に対し地元民から鬼畜のごとき憎悪の念を残した、とある。(ウーン、と唸ってしまった。)

さらに清瀬一郎弁護人が弁護していた「八紘一宇」は、家長制であり、血縁社会尊重、反個人主義、婦人隷従であった、と。アジア太平洋、かなり多くの地域が母系制社会のはずだ。

そして、大東亜の中心であり指導者は日本人、一人であったこと。さらに大東亜各地での植民政策がことごとく失敗、特に経済政策が失敗に終わり、地元民が反抗した詳細がインドシナ、インドネシア、フィリピン、タイ、ビルマ、マレーの例を上げて書かれている。

 

流行りこれを読むと矢内原が戦争の真っ只中の1942年半ばに新渡戸の植民政策論1冊を刊行した意味が見えてくる。

芦田が指摘したような日本中心の、他国を「日本の生命線」と言ってしまうような政策を進め、矢内原から「思想言論態度は自殺的矛盾と批判されたのは蠟山政道である。

 

年末に開始しようと思っていた新渡戸の「東京帝国大学植民政策講義」ここに<東亜の解放>で日本が、日本軍が何を間違ったが書かれているのであろう。即ち植民とは何かが書かれているのだ。

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