以前から読みたかった本である。
パラオの熱帯生物研究所の存在。
戦前は日本のベストアンドブライテストが太平洋島嶼の研究をしていたのである。
最初の方で松岡静雄が言語学を基盤に展開した人類の拡散が信用できない論理である、と書かれているが著者がオーストロネシア語族の拡散を知らないからであろう。松岡が気の毒になった。そして民族学者、人類学者の日本と太平洋島嶼国の共通点を指摘する議論も、根拠がなく当時の「南進」を学術的立場から支持する、すなわち歪曲した言論であるとの指摘もショックだった。
まず日本と太平洋島嶼国には共通する神話や、習慣がある。日本語の中のいくつかの単語にオーストロネシア語を認める研究もいる。当時、ベルツ博士が自身の研究を基に、日本の皇室と部落民がマレイ系、すなわちオーストロネシア語族ではないかと主張していたし、新渡戸によれば鳥居龍三もその意見を支持していた時期があった。日本と太平洋島嶼国の共通性は否定されていない。
さらに、南進や帝国主義、植民とは何かが議論がされない同書でそれを批判する姿勢が貫かれているのも気になった。南進は日本が始めたことではないし、植民は当時当たり前のことであった。日本は英国やドイツの植民を参考に後進者として新たな植民開発をしたのである。
そして委任統治地域の軍事化は同じ太平洋の委任統治領をもつ豪州やニュージーランドが先に行っていた。(ラバウルは1939年9月、第二次世界大戦開始と同時に軍事基地が豪州によって設置された)委任統治地域でなかったグアムなどは元々米軍基地を目的に統治されてきたのだ。日本が一人軍事化を進めたわけではない。
矢内原に関する記述では、ヤップやパラオの人口減少に伝統的な男子小屋での女性の性の共有習慣が原因であることが全く無視されている。これは矢内原も、ドイツの報告書にも書いてあることである。なぜこの部分を書かなかったのか?
期待が外れてがっかりしていたが、その後の文章は大変勉強になり一気に読んだ。パラオ研の実態、田山利三郎に関する記述。。 地元女性との恋愛や、戦争終結近く、パラオ島民が米軍スパイとなって日本を裏切る事件。これはよくわかる。明かに日本が劣勢で米国の支配が確実になる中で、地元で生きて行くには米軍に協力する方が有利である。
そして土方久功。
私の最初のパラオの事業はこの土方の日本語の文献を英語に訳し出版することであった。監修作業をお願いした須藤健一先生、遠藤央先生はご存知ないであろうが、この事業で私の財団での立場は厳しくなった。財団の誰もこの土方英訳出版の意義を理解し関与する人はいなかったのだ。私一人の孤独な作業であった。しかも当時の常務理事、入山氏に呼ばれ「須藤先生と遠藤先生にかなりお金を出したそうだな。一体どんな便宜を受けるつもりだ?」と言われたのである。
私は入山氏の言葉の意味がしばらく理解できなかったが、彼が意味したのは私が須藤・遠藤両先生から何がしかの便宜を受けるつもりだと疑われたのである。確かに、私は千葉大学の教育学修士を終了し、音楽社会学で博士課程を検討していた時があった。しかし1991年から笹川太平洋島嶼国基金再興する業務、即ちガイドライン策定から任せられ、さらに年間の半分近く太平洋島嶼国に出張していたので、音楽社会学への関心を失っていた。
もちろん土方翻訳事業は財団内でのヒヤリング、運営委員会、理事会の承認を得て、さらに事業実施には財団規定の謝金を稟議を回覧し支出している。全て私一人の作業であった。確かに4巻の監修費用はそれなりの額ではあった。他方、土方翻訳出版の意義についていっさい議論せず、便宜を図ってもらうつもりだろうと酷いことしか言わない幹部のいる組織。こんな財団は辞めたいと当時思ったことも覚えている。
この本を読んで久しぶりに当時の事を思い出した。
私にとって最大の利益は土方との出会いであった。土方の太平洋の島へ姿勢が私の太平洋島嶼国へのポリシーを固めた。ゴーギャンが南の楽園を求めてタヒチに行き失望したのとは対照的に、土方は太平洋の島そのものを受け入れて現地の失われゆく文化や歴史を書き残したのである。島の人々の視点、島の人々の価値観が重要なのである。
さて、財団幹部から土方翻訳事業で酷いことを言われた頃の私はPEACESAT, USPNetという遠隔教育事業にのめり込んでいた。1997年USPNetを第一回島サミットのODA案件に私がした後、民族学ではなく、国際政治学で2つ目の修士号、その10年後に1つ目の博士号を働きながら得た。須藤・遠藤両先生には土方事業でお世話になったが、個人的便宜をお願いしたことも、計ってもらったこともない。