やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

E.H.Carr の人権論 メモ

カーが戦後のUNESCOで人権問題を議論したのは53-55歳の頃だ。

 

E .H. Carrが戦後、人権問題委員会の議長をしていたとウィキか何かで読んで文献を探したが出てこなかった。もう5、6年前の話である。

先日チャゴス諸島ICJ判決に関する論文を読んでいたら自決権と人権の議論で、「ああ、人権と言えば・・」と思い出したのである。

 

再度サーチしたらあった。

Mark Goodale. Seventy-year-old views that remain contemporary. UNESCO, COURIER.2018-4

Seventy-year-old views that remain contemporary

 

新渡戸が国際連盟の時代に作ったUNESCOは戦後、ジュリアン・ハクスリーによって再生されたのである。UNESCO初回の会議のテーマの一つが、clarify the principles on which might be founded a modern declaration of the Rights of Man” 人権であった。

そしてUNESCOの活動としてCarrは人権宣言の策定に関与したのである。

国家人権宣言の短い歴史を提供し、国際宣言の起草に関連する重要な利害関係を概説した補佐文書

1947 Memorandum on human rights

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000124068

 
Jacques Havetの監督の下、1947年6月下旬にパリで専門家委員会を招集CHRに送信する報告書を作成。ユネスコの調査結果を最終的な人権宣言の基礎として使用できるようにした。
Human rights: comments and interpretations; a symposium edited by UNESCO, with an introduction by Jacques Maritain. 1948

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000155042

 

しかしこのレポートは1947年12月ジュネーブで開催されたCHRの席で扱うことを拒否されたのだった。これがカーの人権に関する関与の資料が出てこない理由、だろうか?

"Yet, when UNESCO’s report was finally considered by the CHR, in a closed session in Geneva in December 1947, it was met with confusion, and even anger."

 

それでもカーが参加したUNESCOの議論は現在の人権宣言に大きな影響力を持っている、ということだ。

これからカーのコメントを読む。