やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「日本・1945年の視点」三輪公忠著ー読書メモ

波多野氏の下記の論文に以前新渡戸関連で手に取った「日本・1945年の視点」からの引用があった。重光の大東亜共同宣言についてだ。戦後のNIEO(新国際経済秩序)にもつながる内容だという。(164頁)そうであれば大東亜共同宣言、日本の戦争目的が今の国際秩序を形成している側面のある、と言えないだろうか?

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「日本・1945年の視点」の第4章にはアジア新秩序の理念と現実、第5章には地域的普遍主義から地球的普遍主義へ、が収められている。なかなか複雑な内容だ。以下、興味を持った箇所をメモ。

 

124−125頁 1924年7月1日の米国排日移民法が実施された日に、神戸で亜細亜協会が発足。小寺、黒龍会の内田良平などが関わる。同じ頃東京では後藤、田中義一、団琢磨を顧問に汎亜細亜協会が設立。この東西2つもアジア協会は欧米人のアジア人に対する政治圧力を廃し、人種平等などを掲げた。

 

126頁 孫文の神戸での演説は「大亜細亜問題」から「大亜細亜主義」にすり替えられ、孫文はプロレタリアート民族のソ連と中国が提携することに日本が力を貸して欲しい、という主張。しかし日本人はこれを日中協力と理解。どうやったらこういう理解になるのか?

 

130頁 満州事変後 1933年3月に大亜細亜協会が発会。ここに陸軍中将松井石根が参加し近衛文麿を発起に。

 

157頁 大アジア主義を民族解放の問題に示唆したのはモスクワ。これに応じたのは孫文。しかし1924年の孫文の演説に日本は反応しなかった。これにどう応えるかが蠟山の課題。ここに米国から太平洋経済圏の概念が出てくる。

 

162−164頁 ここに波多野が引用した、重光の大東亜共同宣言が今日の理想的国際社会像が描かれていることが指摘されている。これはNIEO新国際経済秩序にもつながる内容。続いてレーニンがドイツと休戦する代償に割譲した土地に「民族自決権」という呪いをかけてドイツの領土権を否定したこと、そしてウィルソンが戦後処理の一大原則として利用したことが書かれている。重光もこれをやったのか?

 

165頁以降には大東亜戦争の両義性が議論されている。それは「侵略」と「解放」。日本は侵略に責任を負わないと同時に解放にも責任を追わない態度を取ってきた。ここの議論は複雑だが重要だ。筆者自身が整理できていない、ような気がする。私が理解できないだけ、なんだろうが。