やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

RETHINKING BURKE AND INDIA Daniel I. O'Neill

  バークとヘイスティング

RETHINKING BURKE AND INDIA

History of Political Thought
Vol. 30, No. 3 (Autumn 2009), pp. 492-523 (32 pages)
 
米国がミクロネシア三カ国と締結する自由連合協定。その前は信託統治。その前は委任統治という国際法の制度があったが、その信託の精神はベルリン会議に、そしてバークに辿ることができる。すなわち人道的植民だ。
バークの詳細を知らなかったので上記の論文をざっと読んだ。
バークは巷で言われているような反帝国主義者ではなく帝国を支持しているという内容。O'Neill教授の決定的な誤解は「帝国主義」というの概念は1850年頃の、すなわcいナポレオン3世あたりからの西洋諸国による植民地拡大の動きであることを理解していないことだ。知らないのかもしれない。その意味の「帝国主義」から見ればバークは立派な反帝国主義である。
ところで、バークのヘイスティング提督によるインド植民批判が興味深い。英国がインドにしたことは、フランス革命でアントワネットが、王室が国民にされたような酷い行いであると批判。アンシャンレジームを強調しているのだ。
植民がどうあるべきか?なるべく植民地の社会制度、文化を壊さないように植民していくべし、というのが英国の植民政策であり、後藤新平はそれを学んだのである。それが生物学原則の植民である。アンシャンレジームである。
 
米国はこれを知らず、グアムをスペインから獲得した際は、米国式に島民を強制したため数百人の島民が隣のサイパンに移住したという。日本から獲得したミクロネシアでも同じことをしている。日本は伝統的酋長制度を保存したが、米国は突然民主的選挙を各州に導入したり、大きな民主化を進めた。バークを知らないのである。
このバークの植民政策は、親友であったアダム・スミスも共有していたのである。国富論は植民について詳しく書かれている。

ウォーレン・ヘイスティングスの裁判、1788年