やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

太平洋の島に捕鯨基地ができるとアノテ・トン大統領が誕生する。

 太平洋の島の電気通信に関連し、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話を3つ紹介したい。

 

<第一話>

「太平洋の島に捕鯨基地ができるとアノテ・トン大統領が誕生する」

 太平洋の島に初めて海底通信ケーブルが施設されたのは、イギリスの植民地経営が背景にあった。

 1902年、英領カナダのハノーバーから同じく英領であったファニング島(現キリバス共和国)、フィジーを経由し、オーストラリアへとつなげた。ファニング島は捕鯨基地であり、フィジーは砂糖黍プランテーションがあった。

 

 同年1902年にはサンフランシスコとホノルルが、

 1903年にはホノルルーミッドウェイーグアムーマニラが、そして

 1905年にはパプアニューギニアのメナドからヤップを経由しグアムに海底通信ケーブルが施設されている。

 これらはアメリカとドイツ、夫々の植民地経営のためである。島の人々のためではない。

   戦後、香港に本社があるイギリスの電気通信会社、ケーブル・アンド・ワイヤレスから中国人Tong氏がファニング島に派遣された。地元の女性と恋に落ち、アノテ・トン大統領が誕生したわけである。

 1957年イギリス領のクリスマス島で初の水爆実験が行われ、クリスマス島の人々は近くのファニング島に強制移動させられた。

 経済的にも安全保障上も無用となったキリバスは1979年独立させられた。

 現在キリバス共和国には海底通信ケーブルは一本たりとも施設されていない。

 

 アメリカ人、エドモンド・ファニング船長が1798年に「発見」したことから名付けられたが、ポリネシア名はTabuaeran 「聖なる足跡」。トンガやクック諸島辺りからハワイへ航海する時の中継地点だった。

 イギリスが残した足跡は果たしてなんだったのか?

 

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1959年4月、クリスマス島を訪問するエディンバラ公の貴重な写真