やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

戦争を否定することは戦死者を否定することではない。

玉砕のあったパラオ、ペリリュー島には未だ多くの戦跡と御遺骨が残っている。日本軍戦死者は約1万人。米軍戦死者は約2千人。 翌々週予定しているパラオ出張の同時期に、今年5月に収集しDNA鑑定の結果、日本人のものと分かった御遺骨がパラオ政府から日本政府に正式に受け渡される、という情報が入った。  

第2次世界大戦中、外地で亡くなった日本人は約240万人。未だのその半分が日本に戻れないままである。 日本政府の遺骨収集は積極的でない、収束する方向と認識していたが、今年7月に菅政権が在外戦没者の遺骨収集について、立法措置も含めた総合的な政府方針を策定することを決めた、との記事を見つけた。  

さらにインターネットを探すと、野口健さんという30代のアルピニストが遺骨収集活動を開始。笹幸恵さんというやはり30代の女性ジャーナリストも遺骨収集に関するルポを活発に行っている。俄に状況が一変したのでは?と驚いている。 インターネットには今年8月、米国の遺骨収集活動組織、Defense POW/MIA Accounting Agency (DPAA)

(過去の名称はJoint POW/MIA Accounting Command:JPAC) がキリバスの遺骨収集実施とのニュースもあった。 このJPACは400人の兵士、水夫、飛行士、海兵隊員と海軍省一般人で構成。米国は8万8千人の在外戦没者の未収御遺骨があり、最後の一人まで帰還させることがミッションだ。なんだか、映画『プライベートライアン』のようだ。  

上記の野口氏によれば、米国が遺骨収集に供出する予算は年間55億円。日本は戦後合計して55億円だという。JPACのウェッブサイトを見ただけでもその格差を痛感する。  日本の消極的姿勢の要因は何か?敗戦により兵士が悪者に見られている背景があるらしい。  

1999年、笹川平和財団、故田淵節也会長とペリリューを訪ねる機会をいただいた。  予科練教官、魚雷艇の指揮官でもあった田淵会長は多くの教え子が南の海で死んでいった。 その田淵会長が「広島の原爆記念館のように“戦争とは無慈悲で、ただ人を殺し合うためだけのものだ”という、一つの教訓としてこのペリリュー島を残すことが大事」とも語っていらしたことを思い出した。  戦争を否定することは、戦死者を否定することにつながらない。

参考ウェッブ

歌川令三

パラオ共和国紀行(1) "不思議の国"のマイ・ウェイ (My Way・in Wonder Island) 「財界」1999年12月7日号より

https://www.spf.org/yashinomi/micronesia/shimajima/palau01.html

パラオ共和国紀行(2) 南海の虹を追って・・・・・ 「財界」2000年新年特大号より

https://www.spf.org/yashinomi/micronesia/shimajima/palau02.html

パラオ共和国紀行(3) ペリリューの死闘を考える 「財界」2000年新春特別号より

https://www.spf.org/yashinomi/micronesia/shimajima/palau03.html

 

 

 

野口健(アルピニスト) 

「ご遺骨収集で抱いた日本人としての誇り」 Voice9月号 掲載手記|ブログ|野口健公式ウェブサイト