単細胞より単純なダウンアンダー
アメリカ人を「単細胞」と呼んだのは小沢一郎議員だが、その「単細胞」の米国人が一様に「単細胞」と評価するのがオーストラリア人である。
もとよりこの小沢氏の発言は、同氏の講演の中での言葉。そこだけ切り取られ誤解されて広まった。
小沢氏は映画「戦場に架ける橋」も引き合いに出しながら、いかに日本人の自尊心が低く英米人は立派か、という話をした。加えて米国人は好きだが英国人に比べ単純過ぎるけど、と軽くコメントしたのである。
さて、オーストラリア人が好かれるのも嫌われるのも、この「単細胞より単純」な性格にあるのかもしれない。歯に衣を着せない。良く言えば,腹がない。わかりやすい。
ODAの例を挙げよう。確か5、6年前まで豪州のODAパンフレットには明確に「ODAはひも付きのためにあります。豪州国民の雇用の機会を広げ、ビジネスチャンスに繋がります。」と身もふたもない表記をしていた。さすがに国内からも批判が出て、書き方を変えた。
それからオーストラリア人のコンプレックス。
最近聞かないが、一時「ダウンアンダー」という言葉に代表されていたと思う。
イギリス植民地だったオーストラリア。今もユニオンジャックは外さず英連邦に留まっているが、イギリスへの思いは、その歴史的背景から、お隣NZ同様複雑だ。
単純に言えば「愛憎」。
同じくイギリス植民地ながらティーパーティを開催した米国との関係も微妙。同じアジア太平洋の一員というつながりを保ちつつ、野球ではなくクリケットだし、絶対ケチャップとは言わない。
気をつけなければならいのは、先祖代々同じ地、国に住み、国籍は一つしか選べない日本と違って、オーストラリア人は英米、もしくは世界中のどこかから移民してきた人々の可能性があり、複数の国籍を持っている可能性もある。即ち文化的背景もさまざまだ。