その際は既に締結している米国と調整し、日米同盟の新たな方向としたらどうか?
という案をもっているが、自由連合協定とは植民地主義の権化みたいなものだから、表立って言うと変人扱いされるぞ、とアドバイスをいただいた。
エーーーーーー、なのだ。
自由連合 Free Associationはdecolonizationの3つある選択肢の一つなのになんで植民地主義なの?
とは言いつつも言い返すだけの知識も情報もないので、調べ始めたらどっぷり深みにはまっている。
国連の基準の自由連合は実は、実はですヨ、ニュージーランドが提案したものだったのです。
しかもイギリスが出した、政治も防衛も旧宗主国が管理するという案に対抗する形で提案した、とニュージーランド法務省の報告書にハッキリ書いてある。これが1961年。
外交と防衛はニュージーランド政府が責任を持つけど、それはクック諸島政府やニウエ政府が要請した時だけ。外交防衛はクック諸島の元首ーエリザベス女王が形式的権限を持っているが、実際はクック政府に権限がある。
きっとクック政府で処理しきれないような場合は伝家の宝刀が振り下ろされるのだろうナ。
まあ、脱植民地化と言いながら実際は巧妙なる新植民地化政策だと想像している。これを理解するにはEHカーの『平和の条件』にあるcrisis of self-determinationを読まなきゃいけない。ウィルソニアンの限界を指摘しているはずだ。まだ読んでない。。
これに対し米国の自由連合は、全く正反対の性格。ミクロネシア諸国の外交と防衛を米国が自分たちのために管理するもの。
モリ大統領が就任して間もなく「何でも米国の許可をもらう必要があって、とても主権国家とは思えない」と大統領サミットでコメントしていたことを思い出す。
だからミクロネシア3国の自由連合協定は国連基準とは全く違う、名前は同じでも違うものなのです。
それではなぜ米国は国連基準と全く反対の自由連合を制定できたのか?
そして国際社会はそれを許したのか?もしくは制止できなかったのか?
米国の対太平洋政策はケネディを訪ねなければならない。今その資料を斜め読みしている最中。
ニューフロンティア政策、ベストアンドブライテスト、ベトナム戦争、。。。
米国が「地獄の黙示録」を目指して深みにはまっていく時期に、ミクロネシアの自由連合協定は協議されているんダナ〜。メンジスは選挙のために、ジョンソン大統領に懇願してベトナムに軍隊を送っているし。。
次々と誕生した主権国家が共産化していくことへの恐怖が頂点に高まっていた時ではないか?
”New Pacific Community”を提唱したケネディと豪州メンジス首相の会話なんか、昨年ラッドとヒラリーが話した内容と同じじゃない?と思うくらいだ。
歴史は繰り返す。