1月の笹川会長との面談では、トンガやパプアニューギニアの事も聞かれ、今後も情報発信を続けるよう励ましていただいた。
安倍首相訪問の予定されているパラオの事ばかり書いているが、フィジーもいよいよ選挙迫り,パプアニューギニアは難民問題で豪州と揉めており、キリバス、ツバル、マーシャル諸島はキングタイドで島が海水で覆われ、書くべきニュースは絶えない。
そんな中で、またもやパラオになってしまうが、フィジーのRatu Epeli Nailatikau大統領がパラオに入っているとのニュースが。パラオの後はグアムを訪問予定だそうだ。
パラオとフィジーの関係、特に観光・農業・漁業分野の強化が合意されたとのこと。
<関連記事>
Fiji looks to formalize relations with Palau
http://www.fbc.com.fj/fiji/18492/fiji-looks-to-formalize-relations-with-palau
Fiji President encourages partnership with Palau
http://www.islandsbusiness.com/news/palau/4930/fiji-president-encourages-partnership-with-palau/
太平洋島嶼国といえば太平洋の十字路と言われたフィジー共和国。
西洋列強がオーストラリア、ニュージーランドの植民地化を進めるために、捕鯨のために、船の燃料の供給地として、飛行機の燃料の供給地として、そして海底通信ケーブルの経由地として必要だった島である。技術が発展し、供給地、経由地の必要性はもうなくまりましたね。
それから英国の植民地としてサトウキビ畑のために連れられてきたインド人が人口の半分を占める。これが後々民族問題に。
英国は植民地化を進めるにあたってトンガの影響が強い(フィジーはトンガの植民地でもあった。)東の酋長と結託し植民地化を進めた。これが後々東と西の権力争いに。
それから、それから、サモア、ナウルに続き1970年にフィジーを独立に導いたカミセセ•マラ閣下は、太平洋諸島フォーラムも創設し、地域のリーダーとして活躍された。
1988年笹川平和財団が主催した太平洋島嶼会議にも出席。その際笹川会長にUPSNet支援を打診したのはカミセセ•マラ閣下で、これが現在の日本のODA支援になった。
フィジーは2006年のクーデター以来、豪NZからの制裁と太平洋諸島フォーラム及び英連邦から閉め出されてきた。その間中国始め BRICS 等との関係を強化。日本との直行便も香港に取って代わられしまった。
そして太平洋諸島フォーラムから閉め出されてもフィジーはめげなかった。Pacific Islands Development Forum(PIDF)を創設し、地域との連携強化を図ってきた。
先々週、長年の制裁を課して来た豪州のビショップ外相がフィジーを訪ねバイニマラマ暫定首相と和解したニュースは、二人が握手した写真と共に大きく扱われた。しかし、フィジーは10年近く続いた豪NZの制裁によって逆に豪NZがなくてもやっていける、という自信を強めたのではないであろうか?逆に豪NZを見限る事によって世界には多くの友人(中国、アラブ諸国、ロシア等々)がいる事を認識したのではないだろうか?
旧宗主国の影響を離れ、島嶼国の道を、即ちPacific Wayを進むためにフィジーが創設した太平洋諸島フォーラムは創設者のフィジーを追い出し、豪NZに乗っ取られた形だ。フィジーは再び、今度は豪NZも除いたPIDFを創設し、パラオの参加も呼びかけた。
島嶼国間の外交が大きく動来だしたような気がする。
太平洋諸島フォーラム、以前は「南」がついていました。これを取ったのは1999年にフォーラム総会を主催したパラオのナカムラ元大統領です。御本人から伺ったので間違いないでしょう。強硬に反対したのが豪NZ。これもナカムラ大統領から直接伺いました。豪NZ米の島嶼国への関与、というか干渉、これもパラオ、フィジーの共通認識かもしれません。
この7月にはフォーラム総会がパラオで再び開催される。ここに安倍首相が招待されている。
パラオが赤道の北と南を結ぶ役割をまた示すかもしれません。