やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

バヌアツ国家の誕生

<国父の自伝>

パプアニューギニアの国父マイケル・ソマレ閣下の自伝『Sana』は10年以上手元にあった。しかし、読んだ箇所は柴田中尉と笹川良一の事が書かれている数頁だけであった。実はこの5月ブログに書くために始めて全編を読んだのだが、この本に上記の日本人が登場する理由が始めてわかった。

この本全編に流れているのは白人に対する人種差別への抗議なのである。その対称的存在としてソマレ閣下が描いたのが彼を支援した、即ちパプアニューギニアの独立を支援した日本なのである。

 

<泥棒天国のバヌアツ>

この反省に則って、バヌアツの国父ウォルター・リニ初代首相の伝記を読んだ。バヌアツは世界で唯一、英仏の共同植民地支配がされていたところで、その独立への道はやたらと複雑であるという印象だったが、今回始めて全容を学んだ。

『永遠の0』の著者、百田さんが「貧乏長屋で泥棒も入らない」と形容したバヌアツは確かにGDPで言えば「貧乏長屋」なのであるが、イギリス政府、フランス政府、という大泥棒が百年以上前から居座っているのである。その強奪ぶりはそんじょそこらの泥棒も叶わないほど。

 

f:id:yashinominews:20190817220617j:plain

 

バヌアツ独立の年1980年に出版された"Beyond Pandemonium - from the New Hebrides to Vanuatu" には国父リニ元首相の自伝である。そして英仏、特にフランス政府が焚書にしたいような事も書かれている。

 

<米国のビリオネラーとフランス政府の共同謀議>

独立の動きを阻止しようとしたのは、現地の人から二束三文で取り上げた土地を持っていたフランス入植者とそれを支援するフランス政府である。フランス政府はバヌアツ近くのニューカレドニア、仏領ポリネシアにも、バヌアツの独立の余波が及ぶ事を恐れ、ありとあらゆる手段を用いた。

小さな島国の主権を利用し税金回避をしたいビリオネラーは50年前にもいた。

米国ネバダ州の不動産屋さんにしてリバタリアンのPhoenix Foundation。これがフランス政府とつるんで武器まで持ち込み現地の島人を唆し、リニ氏率いる独立派と対立したのである。

 

<キリスト教と島嶼国の独立>

バヌアツの国父ウォルター・リニ氏は牧師である。キリスト教と島嶼国の国家指導者はほぼ一致している。なぜか?これもこの本を読んで始めてわかってきた。ベルサイユ条約で、国際連盟規約で、またIIWW後の国連規約で、旧宗主国は島の福祉、教育を支援する義務があったはずなのに、何もして来なかったのである。(話は逸れるが、日本のミクロネシアでの信託統治が当時の基準からいかにまともであったか。)

他方教会は教会でその運営に苦労していた。人も金もないので、現地人を養成する事にした。白人のキリスト教徒が独立を率いる国家指導者を養成する気はなかったようだが、教会が運営する学校以外に教育の場がなかったのある。しかもキリスト教ネットワークはバヌアツのリニ氏と近隣のPNG, キリバス、ツバル、ソロモン諸島の人々を連携させた。同じ境遇に置かれている島々の現状を把握し、協力関係を構築する機会となったのである。

リニ牧師はキリスト教を信じるが、ミッショナリーも含む白人のキリスト教徒がキリストの教えに従っているとは思えない、と明言している。そしてキリスト教の教えは、伝統的メラネシアの価値観に通ずるとも。

 

<日本への期待>

この自伝の中でリニ牧師が子供のころに父親から聞いた話が出てくる。

ミュージカル『南太平洋』の舞台となったバヌアツに日本軍が一度だけ爆弾を落とした。そして敵軍に撃ち落とされ、日本軍捕虜がサント島で勾留されていた。その現場をリニ牧師の父親が見ていて、後々まで、連合軍の日本人捕虜に対する虐待を語っていたという。その部分を下記に引用しておく。

 

"My father still talks about the bombs that the Japanese dropped on Santo and still remembers vividly the concentration camp where the Japanese were kept and ill-treated. "

 

一歩先に独立を果たしたパプアニューギニアの大きな影響を受けたリニ牧師とその同志である。リニ牧師が自伝にわざわざ日本人の事を書いた真意を、穿った見方かもしれないが、日本への某かの期待があった、また今でもあるのではないか考えてしまう。