やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『中国と私』ラティモア(1992年 みすず書房)

IPR-太平洋問題調査会 が戦前反日に大きく振れた。

その要因の一人がオーウェン•ラティモアである。

 

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ラティモアと蒋介石

 

評論家の江崎道郎氏から長尾龍一先生の本を紹介いただき、このブログに書いたが、ラティモアの晩年に磯野富士子という日本女性の存在があった事をウェッブで知り、彼女が『中国と私』というラティモアの自伝を編集している事を知った。

軽く読み流すつもりであったが、この1週間、後藤新平を放っておいて、没頭してしまった。

 

長尾先生の研究書と違い、本人の回想録である同書は一次資料として、またラティモアの人間形成を理解する上で非常に興味深い。

しかし読み進める内に、中国の事がわかっていないと全く理解できない事がわかって、悔しい思いをした。

それでも、近現代史を知る上で重要な本だと思う。

 

1.反日はどこから来るのか?

欧米諸国の「あの」徹底した反日は、パンダハンガーはどこから来るのか?

1933年(新渡戸がカナダで客死した年)IPRの編集長となったラティモアは徹底的な反日プロパガンダを展開する。この本にも自分で反日である、と明言している。

しかし興味深い事にその理由を、日本研究を全くしていない様子。

彼が根拠とするのは中国少数民族に対する対応が、日本軍よりソ連の方がすぐれている、という点だけだ。

 

そしてさらに興味深いのが彼の人格形成の過程である。

貧しく学歴もない両親は優秀な弟を大事にしたようだ。

ラティモアもそれなりに優秀だったようだが、奨学金が得られずオックスフォードに行けない。即ち学歴がない。(多分高校以前も卒業していないようである)。

米国人であるが生まれてすぐ中国に渡り、米国の習慣が身に付いていない。

中国ではラティモアはエリートの白人達に批判的で、その批判精神が向かったのは中国の人々、特に少数民族だ。当時中国語もモンゴル語も一切知らない白人知的エリートに反発し、ラティモアは僻地に出かけ、中国後、モンゴル語、そしてロシア語もマスターする。

 

それから理論を重視する学者を否定する。学歴なき野人の研究者は大学教授の職を得ているが理論には関心を示さなかったようだ。

同書の第二章のタイトルは「理論よりも事実」でIPRの活動を中心に書かれている。

 

この本だけを読むと、ラティモアの反日の起源は彼を生まれた時から取り囲んだ「差別」(金銭、学歴、出自etc.)。家族からも、米国からも、英国からも、そして中国の白人社会からものけ者にされた状況。

その反発として、白人知的エリートには理解できない即ち中国の少数民族を理解できるのは自分しかいない、と思い込み、その中国の少数民族を帝国主義的、軍事国家日本の「侵略」から守り、スターリンの協力を得る事が、少数民族の希望なのだ、と思ったようである。

 

2.IPRの反日プロパガンダに加担した日本人 ー 松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎

IPRを反日一色したラティモアが日本の「三銃士」と讃えた日本人の名前が明記されている。

松本重治、松方三郎、浦松佐美太郎。 (同書42−43頁)

近衞ブレーンのメンバーでもある。

この本の中で忘れられない場面がある。ラティモア、近衞、岸の三者会談だ。アレンジをしたのはラティモアは松方であろう、と言っている。

その三者面談で、岸は北京と満州の間に鉄道を強化する必要がある事を述べ、それはわざわざラティモアに通訳される。そして近衛は岸の前でラティモアの意見を求める。ラティモアは以下のように述べる。

 

「そのためには、線路を引いたり新しい道路を建設する必要があり、多数の中国人労働者を徴用してシャベルやつるはしで作業に使うことになるでしょう。これは大東亜共栄圏を拡大する替わりに、日本の存在は共栄のためではなく帝国主義的目的のためだ、という中国人の感情を強化するでしょう。」(82−83頁)

 

これは明らかにやらせである。ラティモアをわざわざ日本に呼んだのもこの三銃士だったのではないか?

 

岸が帰った後、(当時総理である)近衛はラティモアに「どうもありがとう!」と言った、とある。

 

3.グラハム•ベルがラティモアと中国をつないだ。

実はこの本を開いて最初の2頁で、もう充分だと思った件がある。

ラティモアを中国に導いたのは、あの、電話の発明者グラハム•ベルなのである。

ベルの事はこのブログにも、自分の博論でも充分調べて書いたので、このたった2頁の記述から背景がグッと見えて、大きな衝撃を受けた。

 

ラティモアの父の姉が、ベルの聾唖教育の生徒で、中国の僻地に聾啞教育指導者として派遣されていたのだ。貧しく学校も卒業できなかったとあるから、姉の中国派遣もその費用は聾唖教育支援活動としてベルが、AT&T が出していた可能性がある。

わざわざ僻地に派遣された、ということは中国での電話ビジネスの可能性を背景としていたのかもしれない。

中国の少数民族を支援するラティモアのはずだが、この父親の姉の中国僻地での聾唖教育については一切触れられていないのも変である。

 

4.まとめ

話がとっ散らかってしまったが、このラティモアの自伝は中国の専門家が、近現代史の専門家が読めばもっと面白いのはないだろうか?

書評を探したが見つからない。長尾龍一先生が何か書いてるかもと期待したのだが、なさそうである。

少なくともラティモアの反日が、彼が日本を全く知らない、という事と、彼を取り巻く西洋社会の矛盾が原動になっている、という事は現代社会の反日を理解するのに参考になる、のではないだろうか?