あまり知られていないが、電話の発明者アレクサンダー・グラハム・ベルは父親の代からろう教育に一生を捧げた人であった。母親は難聴者であり、生徒で後に妻となるマーベルは聴覚障害者であった。
当時、多くの聴覚障害者が話すことを諦らめていた中、ベル親子が音声研究を続け、口話法の指導に光を導いたのである。この音声研究が電話の発明も導いた。
妻マーベルの耳が聞こえない、ということを知らない人には、そのことがわからないほど流暢に話した、という。奇跡の人、ヘレン・ケラーもベルとの出会いで人生が変わった。
皮肉なことに、ベルの偉業が1880年のミラノ会議「口話法は手話より優れている」という決議を後押ししたことは想像に難くない。手話法を推進するギャローデットとベルの対立もあったようだ。ベルも1872年に多くの支持者理解者を得てシカゴに聾学校を設立している。
もしベルのような情熱と才能を兼ね備えた教師が何百万人も世界中にいて、途上国や貧しい人にも等しく教育の機会が与えられたならば、この決議は多くの悲劇を生まなかったかもしれない、とは素人考えか。
今、IT革命が障害者の方たちに新たな光を導こうとしている。
グラハム・ アレクサンダー・ベルの発明した電話の開発の人間的背景が、ミラノ会議の悲劇を越え、日本財団の活動を通して再び障害者の方達につながろうとしているようで、嬉しく思った。
参考資料
『孤独の克服―グラハム・ベルの生涯』NTT出版 1991年
ロバート・V. ブルース (著), 唐津 一 (翻訳)