先般パラオで開催した会議は、英文ニュースとなって世界を巡っているようだ。
この日曜日には4分近いABCニュースのラジオ放送があった。
Japan offers Palau a hand of friendship as US financial package stalls
http://www.abc.net.au/news/2016-03-07/japan-offers-palau-a-hand-of-friendship-as-us/7226638
ちょうど、我々の会議が開催される直前に、米国ラッセル国務次官補がパラオを訪ねていた事はこのブログにも書いた。
財団の「寛大」な支援は、パラオと自由連合協定を締結する、即ち本来パラオの安全保障を管理する義務のある米国へのプレッシャーとして語られている。
確かに、冷戦終結後、太平洋への関心を失った米国の代役をパラオ始め当該地域から、日本は求められてきた側面がある事は否定できない。
今回の案件もある意味、その結果である。
過去10年近く、「言うだけ番長」に成り下がってしまった米国。
財団の海洋安全保障分野への具体的支援はわざわざパラオを訪ねたラッセル国務次官補の顔を潰してしまったかもしれない。
当方はパラオのメディアの方々と、会議の前に5時間近い懇談をする機会があった。
勿論オフレコで、殆ど彼等がしゃべっていたのだが、本音が多く聞けて勉強になった。
そこで当方が感じた事は、米国への複雑な感情である。敢えて言えば「愛憎」
それから、援助を受ける事への複雑な感情。敢えて言えば「抵抗感」
「自由連合」についてもNZの例を出してよく話合う事ができた。
上記ラジオのインタビューはフィリピンの方である。
米国、日本とフィリピンの歴史的関係もこの地域を理解するのに重要だ。