やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『正翼の男』佐藤誠三郎著、1999年、中央公論新社

1998年に『笹川良一研究』を出版した佐藤誠三郎氏は、翌年の1999年にその続編とも言える『正翼の男』を出版している。そして同年11月に亡くなられているので、佐藤誠三郎氏にとって笹川良一研究が最後のテーマだった、という事であろうか?

 

『正翼の男』も手に取った。

八重山諸島の革新左派の事を書く機会をいただいたが、当方はこの左翼右翼、革新保守、というのがよくわかっていない。

『正翼の男』第一部、IIIに「笹川はどのような意味で「右翼」だったのか」という文章があり、そこに詳細が説明されていた。でも理解不可能。

 

この右左、保守革新、起原はフランス革命らしい。

そして日本国内でのこの分類は、非常にいい加減なようである。

 

「戦前期の笹川を批判する時、もっともよく使われるのは、笹川が右翼の指導者だったということである。」(『正翼の男』50頁)

当方もこの表現を本(といってもB級の本)で見たり、また一昨年在パラオの田尻和宏大使と名前は忘れたが公使から「笹川は右翼の大物」と直接言われて、直ぐに席を立った経験がある。

 

佐藤先生の説明、相当複雑でよくわかりませんが、当時は近衛文麿の昭和研究会や北一輝も右翼だったんだそうである。右翼は革新官僚とつながって、大政翼賛会になって輪郭が不明になってきた。。という話だと理解しております。

 

ちなみに、多くの皆さんが誤解されているかもしれないので、書いておきますが笹川良一は大政翼賛会に大反対し、推薦を受けずに当選した国会議員の一人です。

逆に推薦を受けて当選し、戦後笹川良一の悪口を触れ回ったのが、矢内原忠雄先生にフルボッコされた蝋山政道。。

 

要は右左、保か革新に分けて、どちらかに所属する事で安心を得たいという集団心理(特に男性)でしかない、というのが当方の結論。すなわち「連れション」心理。