やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『近衛新体制 ー 大政翼賛会への道』伊藤隆著

私が近現代史を学ぼうと思ったのは、ミクロネシアと日本の関係を理解するには第一次世界大戦前後ははずせない、と今更のように反省した事と、2015年の天皇陛下のお言葉を知ったからである。

「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」

 

筒井清忠著『近衛文麿ー教養主義的ポピュリストの悲劇』は結構分量のある本だったが一気にのめり込んで読んだ。

 筒井清忠著『近衛文麿ー教養主義的ポピュリストの悲劇』 - やしの実通信

 

近衛が、新渡戸の一高の生徒であった事。近衛は新渡戸を尊敬し慕っていたようだが、新渡戸の近衛に対する評価はあまり高くなかった様子である事。逆に新渡戸の東大植民学の後継者となった矢内原を1937年に辞任に追いこんでいる事。

矢内原事件 - やしの実通信

さらに下記に再度引用するが鶴見俊輔氏の新渡戸評を知って、近衛文麿とその周辺の新渡戸門下が作り出した近現代史は興味があった。

 

「昭和時代の軍国主義の支配にたいして、かつて新渡戸門下であった官僚・政治家・実業家・教育者・学者たちのとった道は、偽装転向意識に支えられながら、なしくずしに軍国主義にたいしてゆずっていくという道をとった。偽装転向意識に支えられているということがかえってかれらの中に転向の自覚を生まず、この故に敗戦後におなじく転向意識なしになしくずしに民主主義に再転向することが可能となった。これら個人の転向・再転向は、日本の支配階級内部での強力な相互扶助、パースナルな親切のだしあいによって支えられてきた。」

参照 

「日本の折衷主義 ー新渡戸稲造論ー」鶴見俊輔著、『近代日本思想史講座Ⅲ』筑摩1960 - やしの実通信

 

前置きが長くなったが『近衛新体制 ー 大政翼賛会への道』伊藤隆著(中公新書 昭和58年)を手に取ったのだが、全然わからない、理解できないまま、4日ほど持ち歩いた。

人物が沢山出て来て、彼等の詳細な言動が記され、一切頭に入らないのである。

それでも単細胞の当方の脳みそに焼き付いた点が3つだけある。これだけこのブログに書いておきたい。

 

ファシズムについて

伊藤氏は「ファシズム」という用語が 

1. 歴史分析のために必要な共通の最低限の定義づけをもっていないこと、

2.イデオロギーが絡み付いて歴史の新しい発見に役立たないこと、

3. 近年その内容は歴史的な現実から遊離して「悪」そのものとほとんど同義語と化していること

から用いないと断った上で(同書18頁)あとがきで(226頁)大政翼賛会を作った、近衛文麿、軍内の革新派、新官僚の多く、風見章、有馬頼寧、中野正剛、尾崎秀実、社会大衆党の多く、転向した共産党の多くがファシストのはずだが、多くの論者が彼等を必ずしも「ファシスト」とよんでいないのは一体どうしたわけであろう、と問いかけている。

笹川良一氏がこの翼賛選挙に反対して国会議員に当選した事はあまり語られていない。それなのにファシストと呼ばれている事と対象的だ。ここに上記の鶴見氏の新渡戸門下への批判が当てはまるように気が、する。

 

歴史叙述の視点

伊藤氏はファシズムという用語は使用しない代わりに、進歩(欧化)<ー>復古(反動)とう横軸に革新(破壊)<ー>漸進(現状維持) という縦軸を重ねる事を提案している。後者の軸は大正中期以降を説明する際に必要となる、と。そして大正中期以降に復古革新が膨張したとする。大正中期とは新渡戸がジュネーブで国際連盟設立に奔走していた時期、即ち日本不在中である。(同書17頁)

 

昭和研究会

近衛新体制が作られる背景に昭和研究会の事が取り上げられているのだが、創設者の名前に新渡戸が出て来る。しかも新渡戸の(できの悪い)生徒の後藤隆之介などと並べて、しかも新渡戸が亡くなった昭和8年の事として書かれている。(31頁)

これは新渡戸ファンとしては受け入れ難い記述である。伊藤隆先生を存じ上げませんがここだけは訂正していただきたい。新渡戸を知らない人が読めば、新渡戸が近衛新体制を支援した昭和研究会創設に関わっているように勘違いされるではないか。

確かに関わっているようなのだが、それは昭和研究会の前身である農村問題研究会である。

 

参考 昭和研究会の起源

昭和研究会の起源 - やしの実通信

 

この本を読みながら、昔寝っころがって飛ばし読みした伊藤隆先生の笹川良一研究シリーズが読みたくなった。当時はチンプンカンプンだった。何も頭に残っていない。

笹川良一がなぜ国政に出る事になったのか。翼賛選挙をどのように批判し、当選後、この近衛新体制とどのように向き合ったのか。等々。

「悪」のイデオロギーが絡み付いた「ファシスト」と呼ばれるべき近衛を始めとする新渡戸門下生の一部がそう呼ばれずに、笹川良一がそのように呼ばれる事になった背景もわかるかもしれない。