やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

レーニン、ウィルソン、そして新渡戸のself-determination(追記あり)

 

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手探りでレーニンのself-determinationの資料を読んでいたら、早速良質な文献に巡り会った。

イタリア人国際法学者、アントニオ・カッセーゼ教授の "Self-determination of peoples : a legal reappraisal" Cassese, Antonio.1995.

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アントニオ・カッセーゼ教授、東京裁判の本も書いている。

この本の第一章がself-determinationの歴史的背景をまとまたもので、フランス革命から始まって、レーニン、ウィルソンのself-determinationが紹介される。 ここまでは、英語だし、読み始めるとすぐ眠ってしまう内容だった。

乱暴にまとめると、フランス革命のself-determinationてのは隣国のアヴィニョンやベルギーを奪い取る事だったし、レーニンのself-determinationは政治的イデオロギーで、社会主義へのリップサービス。民族の自決ではなくレーニンが考えていたのはブルジョアを排除したプロレタリアートの連携と台頭。

ウィルソンのself-determinationは民主主義の事で、米国内の黒人問題や米国の植民地(グアムとかフィリッピン、ハワイ、プエルトリコ)の自立なんて毛頭考えていなかった。 それに、ウィルソン自らベルサイユ会議でself-determinationを唱えた事を深く反省しているし、ランシングはもう頭を抱えているような状態だった。

下記の引用文をご参照ください。

 

ウィルソンの言葉、

「そんなに民族がいるって知らずに言ってしまったんだよ。毎日のよう彼らはやってくる。。自分が言った事が原因で何百万人もの人に叶わぬ望みを与えてしまった僕の苦悩がわかるまい。」

“When I gave utterance to those words (self-determination)I said them without knowledge that nationalities existed, which are coming to us day after day....You do not know and cannot appreciate the anxieties that I have experienced as a result of many millions of people having their hopes raised by what I have said" Wilson 1919, June or Aug

 

ランシング外相の言葉

「一体ウィルソン大統領が ‘self-determination’を口にした時、彼の頭にはどんな集合体があったのか?人種?領土?それともコミュニティ?定義が無ければ応用不可能で、平和と安寧に危険極まりない発言だ。ダイナマイトのような危険な提案だ。etc etc...」

“When the President talks of ‘self-determination’ what unit has he in mind? Does he mean a race, a territorial area, or a community? Without a definite unit which is practical, application of this principle is dangerous to peace and stability....The phrase is simply loaded with dynamite. It will raise hopes which can never be realized. It will, I fear, cost thousands of lives. In the end it is bound to be discredited, to be called the dream of an idealist who failed to realize the danger until too late to check those who attempt to put the principle in force. What a calamity that the phrase was ever uttered! What misery it will cause!” - Secretary of State Robert Lansing on Woodrow Wilson’s use of the phrase “self-determination”, Robert Lansing, The Peace Negotiations: a Personal Narrative (Boston and New York: Houghton Mifflin Company, 1921), pp. 97-8. Lansing is here citing his own notes from the Paris Peace Conference.

"Self-determination of peoples : a legal reappraisal" Cassese, Antonio.1995.の1章、と言っても20頁くらいなのですが、終盤にフィンランドのオーランド諸島が出て来る。 ここで目が覚めてしまった。心臓が高鳴った。我らが新渡戸稲造の登場なのだ。眠れなくなった。

アントニオ先生は新渡戸稲造の名前は出していないが、国際連盟に委ねられたオーランド諸島問題を裁定したのは新渡戸だ。アントニオ先生はこのオーランド諸島のケースこそが、self-determinationが国際法として現在、地位を確立した起源であると説く。

オーランド諸島問題とは何か?(ウィキを参考にしました) オーランド諸島はスウェーデン語なのだが、フィンランドに統合されており、ウィルソンのself-determinationの煽りを受け、住民投票でスウェーデンに戻りたい、と表明する。ところがフィンランドはこれは国内問題であるとはねつける。国際連盟が指名した国際法委員会もフィンランドの国内問題であると判断するが、ここが大事。国際連盟は、即ち新渡戸はフィンランドに留まるも文化の違いから自治権を拡大するよう指示する。(後藤新平の「鯛ヒラメ理論」を応用したのではないか?) これによりフィンランドとスウェーデンの領土紛争が避けられたのだと当方は理解する。 さらに国際連盟は、即ち新渡戸は当時のフィンランドがロシアから分離したばかりで政治的にまだ不安定だった事もあり、オーランド諸島にフィンランドから離脱する権利を例外的ケースとしれ認めた。 self-determinationが少数民族の保護という名目で国際法の形を取った最初のケースとなったのである。

以上、この事をまとめている日本の学者は皆無というお話がありましたので、勇気を奮って乱暴にまとめました。国際法もこの地域の事もわかりませんので、当方の理解があっているかどうか、全く自信がありません。 しかし、新渡戸がレーニン、ウィルソンの尻拭い作業、と言うのでしょうか、とりわけジョンズ・ホプキンズ大学で一緒だったウィルソンの14か条の後始末を国際連盟で主導した結果となったのではないでしょうか?

 

追記 戦後、国連でこのself-determinationが地位を築いていった背景には反植民、脱植民の動きを反映していた。それから人権委員会の存在も。しかし、「植民」に関する定義がされていない。暗黙の了解で西洋諸国が500年近く世界に対して行った虐殺、搾取、奴隷と言った「植民」を意味しているが、これは特殊なのだ。アレキサンダー大王を見よ、神武天皇を見よ、植民先の領主と仲良くなり妻をめとり、植民、統一していったのだ。。