やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

戦後self-determinationが法的地位を得る過程

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アントニオ・カッセーゼ博士の本をゆっくり読んでいる。

中途のままの新渡戸稲造天皇論も早くまとめたいからだ。

さつま芋ポタージュも作らなければならないし。。。

レーニン、ウィルソンの言ったself-detreminationなんて、人々の決定権をはなから無視したものだった。新渡戸がオーランド諸島問題で辛うじて少数民族保護の道を示したに終わったのだ。(きっと)

それでは戦後どのようにself-detreminationが法的地位を得たのか?

米英中ロが参加した「ダンバートンオークス提案」にはまだその言葉は出て来ない。

出て来たのは1945年のサンフランシスコ会議で、である。

‘to develop friendly relations among nations based on respect for the principle of equal rights and self-determination of peoples, and to take other appropriate measures to strengthen universal peace’.

アントニオ先生はこの時点でも米英中ロの4カ国は具体的方法を知らなかったが、少なくともself-detreminationが新しい国際社会の主要な目的 major objectiveになった、と書いている。

多くの国がこれに賛成したが、ベルギーが反植民地への対応策としてではなく、国内の少数民族の自決権を指示するものとして当初反対を表明。(とういう事だと思います。アントニオ先生の記述を乱暴にまとめると)ベネズエラなども同様な理由で反対を表明。

これだけではない。エジプトが、ドイツ、イタリアの例を出して、self-detreminationが誤用され、独裁者によって軍事的行動に繋がる事が指摘された。シリアの代表がself-detreminationが人々の本当の声として表明できないケースがある事も指摘された。

今日はここまで。上記の記述はアントニオ・カッセーゼ教授の"Self-determination of peoples : a legal reappraisal" Cassese, Antonio.1995、37−40頁です。

しかし、この本はself-determinationを議論したあらゆるペーパーに引用されおりかなり重要な文献らしいのだ。台湾の研究者も引用している。どうやら引用していないのは日本の学者だけ?