神武マレイ説、即ちオーストロネシア語族説が議論されていた事を新渡戸の文章で知って、その存在さえ知らなかった神武が急に気になりだした。
神武東征の旅。この夏には橿原神宮を訪ねたが、いよいよ瀬戸内海を船で渡る事に。
といっても神戸から船で下関へ。帰りは新幹線で鞆の浦経由、という旅程である。
公開してよいか許可を得ていないので、本名は出しませんが、安全保障の大家から旅立ちのうたまでいただいてしまった。
東征の旅に出る てふ友ありて、いよよ賑わふこの師走 土龍
2泊3日の旅路であったが3、4回ブログで紹介させていただきたい。
橿原神宮で入手した神武東征のマンガには、ある日突然神武とその部族が平和の使者として部族の争いが続く村々に船で向かう話で始まる。しかし、なぜ争いを沈める必要があったのか?なぜあの時期だったのか?(色々説はあるようだが神武が存在したのが2千年前位の話らしい)
全くの素人見当だが、現場を経験して考えてことは、海洋貿易ルートの構築、すなわち神武東征は関門海峡、瀬戸内海周辺の海洋安全保障構築だったのはないか?ということだ。
神武が太平洋島嶼国の人々と同じオーストロネシア語族で、しかも海洋安全保障の構築者であれば、もうこれは自分の関心のど真ん中である。
最初は旅立ちの地、神戸、生田神社。