やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

後藤新平の植民政策(5)「厳島夜話」

いよいよ「厳島夜話」である。現代語に編集して下さった藤原書店さんには本当に感謝したい。スラスラ読めるだけで大分違う。

厳島夜話」(p. 487-526)は、1.伊藤博文に大アジア主義を説く 2.新旧大陸対峙論の提唱、3.伊藤の快諾、 4.藤・桂両公の遺志継承 の4項からなる。

以下、満州の事も当時の時代背景も何も知らない当方が、気に止まったところだけメモする。「厳島夜話」に関する専門家の先行研究があれば、是非拝読したい。

たった1年半の満鉄の任務(えっ!1年半であれだけやったの??)で後藤が目指したのは、満鉄だけではなく、支那大陸とそれを基盤とする日本と世界の関係、即ち日本の世界政策であった、と鶴見は始める。(p. 487)

この後藤の世界政策を知る事ができるのが後藤自身の手記である「厳島夜話」だ、と。後藤は伊藤に向かって3日3晩この世界政策を説いたのである。

日露戦争後の対中、対ロ策は日本の急務であったため、後藤はこれを解決できるのは伊藤しかいないと考え、当時朝鮮統監であった伊藤にその職を辞して「単なる一個の大政治家」として大陸を訪れる事を提案。(p. 494) これが伊藤の死の旅となる。

日露戦争に勝利した日本はその戦後処理が上手く出来たいなかったようである。支那もロシアもそして米国からも猜疑の目が向けられていたようで、当時「米清同盟説」も噂されていた。そこで後藤は「中国の有力者を啓導して国際上の真の知見を会得させ、・・・大アジア主義の本旨に悟入させることこそ、東洋平和の根本策を定める理由である云々。」(p. 496)と説く。これに対し伊藤は激しく応酬した。

「・・・いわゆる大アジア主義とはそもそも何であるか。およそこの種の論法を口にするものは、深く国際間の虚実を察せず、ややもすれば軽率な立言を為すがゆえに、たちまち西洋人に誤解され、彼等に黄禍論を叫ばせるようになる」(p. 497)

これに対し後藤は「黄禍論が出て来るのは外交術が拙劣であるからである、」と反論するが伊藤は納得しない。

これに対し、後藤が用意していた「第二策」が「新旧大陸対峙論」である。

後藤は「世界の今後の趨勢は、これを大処より達観すれば、すなわち新大陸と旧大陸との対峙に帰着するからで、そして欧州各国は東洋諸国と共にひとしく旧大陸として、共通の立場と利害を有するものである」(p. 500)と、日英同盟を維持しつつも、露独英仏との協力を提案。

この「新旧大陸対峙論」について後藤は台湾時代に読んだEmile Schalkの"Natur und Staat"という仏独同盟論を骨子とした論文を伊藤に紹介している。鶴見はシャルクを「千古の卓論」であると形容し、ヨーロッパが米国に叩頭するに至ったのはシャルクの論を聞かずに独仏が戦ったせいである、と。(p. 502)

伊藤に、それでは日本はどうすべきか、と聞かれ、後藤は自論を展開する。シャルクの独仏同盟では狭すぎる。大西洋を挟んだ新旧大陸対峙論を太平洋に押し広げ「太平洋の両岸に国する新旧大陸を包含させることによって、はじめて日本帝国本意の世界の恒久的平和が維持され、人類全般の幸福を享有し得るべきもの信じられるもの、これが私の主張の由来である。」(p.504)

新渡戸の太平洋の架け橋はここにあったのである

また先般の安倍総理の"Asia's Dream: Linking the Pacific and Eurasia" も後藤とつながっている。

安倍総理は後藤の「新旧大陸対峙論」を知っているのであろうか?

厳島夜話」長くなったので、2回に分けます。